すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.ヤコブの遺言

・ヤコブは死が近づいたことを知り、ヨセフを呼んで、二人の子マナセとエフライムを養子とし、神から与えられた祝福を分与した。末子ヨセフに長子権(子二人を通して一人で2倍の相続分)が与えられたことを意味する。
―創世記48:3-5「先に全能の神がカナンの地ルズ(ベテル)で私に現れ、私を祝福して、言われた『私はおまえに多くの子を得させ、おまえをふやし、おまえを多くの国民としよう。また、この地をおまえの後の子孫に与えて永久の所有とさせる』。エジプトにいるあなたの所に私が来る前に、エジプトの国で生れたあなたの二人の子はいま私の子とします。すなわちエフライムとマナセとはルベンとシメオンと同じように私の子とします。」
・その時、ヤコブはヨセフの長男マナセを左の手で、次男エフライムを右の手で祝福する。右手は力の象徴であり、右手の祝福は長子への祝福であり、ここでも長子権が人間の順序ではなく、神の選びにより付与されている。
―創世記48:13-14「ヨセフはエフライムを右の手に取ってイスラエルの左の手に向かわせ、マナセを左の手に取ってイスラエルの右の手に向かわせ、二人を近寄らせた。すると、イスラエルは右の手を伸べて弟エフライムの頭に置き、左の手をマナセの頭に置いた。マナセは長子であるが、ことさらそのように手を置いたのである。」
・ヨセフは父の目が見えないため、長男と次男を間違えたのだと思い直そうとするが、ヤコブは訂正を拒んだ。
―創世記48:18-19「ヨセフは父に言った『父よ、そうではありません。こちらが長子です。その頭に右の手を置いてください』。父は拒んで言った『わかっている。子よ、私にはわかっている。』」
・その後の歴史において、エフライム族はマナセ族よりも強大な部族になっていった(申命記33:16‐17)。


2.祝福の手の交差


・長子のマナセではなく、エフライムが後継者に選ばれる。ヤコブも兄エソウを差し置いて長子権を得た。人間の秩序ではなく、神の選びが優先することを示している。
―ローマ9:11-16「まだ子供らが生れもせず、善も悪もしない先に、神の選びの計画が、業によらず、召した方によって行われるために『兄は弟に仕えるであろう』と彼女に仰せられた。・・・神の側に不正があるのか。断じてそうではない。神はモーセに言われた『私は自分の憐れもうとする者を憐れみ、慈しもうとする者を慈しむ』。故に、それは人間の意志や努力によるのではなく、ただ神の憐れみによるのである。」
・しかし、それは一方の選び、一方の切捨てではない。神はヤコブを選ばれたがエソウをも祝福された。神はエフライムを選ばれたが、マナセをも祝福されている。
―創世記48:19「彼もまた一つの民となり、また大いなる者となるであろう。しかし弟は彼よりも大いなる者となり、その子孫は多くの国民となるであろう」
・これはエフライムの方がマナセより神の前に偉くされたわけではなく、役割を果たすためにより大きな賜物をいただいた事に過ぎない。しかし、人間は常に右手の祝福を求め、与えられない場合は力で奪おうとする。
―ヤコブは長子権を得るために父イサクを騙し、兄エソウの憎しみを買い、故郷を追われた(創世記27:41−44)。
―その償いをするために、叔父ラバンの下で20年の忍従の生活を強いられた(創世記32:11‐12)
―そして今はこのために祝福を求めるものとされた(創世記48:15‐16)
・人間の与えられた賜物(能力、タラント)はそれぞれに異なる。それに不平を言うのではなく、与えられた能力、立場に最善を尽くすことが人生の意味であることを創世記48章は伝える。
―マタイ25:14-15「天国は、ある人が旅に出る時その僕どもを呼んで自分の財産を預けるようなものである。それぞれの能力に応じてある者には五タラントある者には二タラントある者には一タラントを与えて、旅に出た。」
・神は何故イスラエルを自分の民とされたのか。それは弱い者を選ぶ事により摂理を明らかにするためであった。
―申命記7:7-8「主があなたがたを愛し、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの国民よりも数が多かったからではない。あなたがたはよろずの民のうち、もっとも数の少ないものであった。ただ主があなたがたを愛し、またあなたがたの先祖に誓われた誓いを守ろうとして、主は強い手をもってあなたがたを導き出し、奴隷の家から、エジプトの王パロの手から、あがない出されたのである。」
・私たちの選びも同じだ。私たちは価しないから、選ばれて神の子とされた。だから私たちの役割は仕えられることではなく、仕えることであり、排除することでなく受け入れることなのだ。
―汽灰螢鵐1:26-27「兄弟たちよ。あなたがたが召された時のことを考えてみるがよい。人間的には、知恵のある者が多くはなく、権力のある者も多くはなく、身分の高い者も多くはいない。それだのに神は、知者をはずかしめるためにこの世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるためにこの世の弱い者を選ばれた」。
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