すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  詩編  >  2010年7月7日祈祷会(詩篇55編、友に裏切られた時)
1.友の裏切り

・詩編55篇は嘆きの歌である。詠い手は襲い掛かる悲嘆と苦悶の中で主に嘆きの声をあげ、その救済を祈る。詠い手は「神よ、私の祈りに耳を傾けて下さい」と祈り始める。
−詩編55:2-5「神よ、私の祈りに耳を向けてください。嘆き求める私から隠れないでください。私に耳を傾け、答えてください。私は悩みの中にあってうろたえています。不安です。敵が声をあげ、神に逆らう者が迫ります。彼らは私に災いをふりかからせようとし、憤って襲いかかります。胸の中で心はもだえ、私は死の恐怖に襲われています」。
・「私は悩みの中にあってうろたえています」、原文では「気が狂いそうです」とある。敵の攻撃の中で詠い手は心身ともに疲れ果て、気が狂いそうになっている。彼は夢想する「翼があればこの場から逃れることができるのに」と。
−詩編55:6-9「恐れとわななきが湧き起こり、戦慄が私を覆い、私は言います『鳩の翼が私にあれば、飛び去って、宿を求め、はるかに遠く逃れて、荒れ野で夜を過ごすことができるのに。烈しい風と嵐を避け、急いで身を隠すことができるのに』」。
・しかし、詠い手は都に留まる。逃げれば悪人との対決を放棄し、この地を敵対者に委ねることになるからだ。イエスも私たちに世から逃げず、世に留まり、狼の群れの中で「鳩のように素直に、蛇のように賢くあれ」と命じられた(マタイ10:16)。詩人は敵を滅ぼして下さいと祈る。都では、言葉の暴力がはびこり、不法と争いと搾取に満ちている。都の治安の責任を持つ者が自ら暴虐を働いている。
−詩編55:10-12「主よ、彼らを絶やしてください。彼らの舌は分裂を引き起こしています。私には確かに見えます、都に不法と争いのあることが。それらは昼も夜も、都の城壁の上を巡り、町中には災いと労苦が、町中には滅びがあります。広場からは搾取と詐欺が去りません」。
・詩人にとっての問題は敵からの迫害だけでなく、これまで同志として親しく語り、共に礼拝をした友が裏切ったことだ。本来の敵であれば、忍ぶこともできる。しかし、信頼していた友が裏切って、今は迫害者となっている。
−詩編55:13-15「私を嘲る者が敵であれば、それに耐えもしよう。私を憎む者が尊大にふるまうのであれば、彼を避けて隠れもしよう。だが、それはお前なのだ。私と同じ人間、私の友、知り合った仲。楽しく、親しく交わり、神殿の群衆の中を共に行き来したものだった」。
・矢内原忠雄は1937年「国家の理想」を発表し、日中戦争を批判したために、東大教授の席を追われた。彼は詩編55篇の注解で書く「戦前、私を大学から追うに力があったのは、私と同じ教授会に座ったものだった」。内村鑑三が不敬事件により一高教師を解職された時、世間と歩調を合わせて内村を批判したのは、当時の教会指導者だった。彼がその後、無教会に転じたのも、そのような教会への不信感によるものだった(内村・基督信徒の慰めから)。

2.あなたの重荷を主に委ねよ

・詩編41篇も友に裏切られた悲しみを詠う(41:10「私のパンを食べるものが私を足蹴にします」)。ヨハネはユダの裏切りを、詩編41篇を通して叙述する(ヨハネ13:26)。敵からの迫害、友の裏切りの中で、詠い手はもはや祈り続けることさえできなくなり、ただ呻く。その呻きの中で、呻きを聞いて下さる神を彼は見出していった。
−詩編55:16-20「死に襲われるがよい、生きながら陰府に下ればよい・・・悪を蓄えている者は。私は神を呼ぶ。主は私を救ってくださる。夕べも朝も、そして昼も、私は悩んで呻く。神は私の声を聞いてくださる。闘いを挑む多くの者のただ中から、私の魂を贖い出し、平和に守ってくださる。神は私の声を聞き、彼らを低くされる」。
・そして詩人は叫ぶ「あなたの重荷を主に委ねよ。主はあなたを支えて下さる」と。関根正雄をこの詩を「神への逃亡」と呼ぶ。まさに私たちは絶望の淵から神へ逃亡するのだ。
−詩編55:23「あなたの重荷を主にゆだねよ、主はあなたを支えてくださる。主は従う者を支え、とこしえに動揺しないように計らってくださる」。
・主の救いを確信した詠い手はもはや自分で復讐しようとはしない。詩人は裏切った友への報復を主に委ねる。
−詩編55:21-24「彼らは自分の仲間に手を下し、契約を汚す。口は脂肪よりも滑らかに語るが、心には闘いの思いを抱き、言葉は香油よりも優しいが、抜き身の剣に等しい・・・神よ、あなた御自身で、滅びの穴に追い落としてください、欺く者、流血の罪を犯す者を。彼らが人生の半ばにも達しませんように。私はあなたに依り頼みます」。
・イエスも裏切られ、捨てられたが、敵を赦された。旧約は敵の赦しを知らないが、私たちは知る。故に報復を主に委ねると同時に、その敵のために赦しを祈っていく。
−汽撻謄2:22-24「この方は、罪を犯したことがなく、その口には偽りがなかった。ののしられてもののしり返さず、苦しめられても人を脅さず、正しくお裁きになる方にお任せになりました。そして、十字架にかかって、自らその身に私たちの罪を担ってくださいました・・・そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました」。
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