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トップ  >  エレミヤ書  >  2010年6月17日祈祷会(エレミヤ書29章、エレミヤの捕囚民への手紙)
1.エレミヤの捕囚民への手紙

・エレミヤ29章はエレミヤがバビロンの捕囚民に送った手紙と、それが現地の人々にどのように受け止められたのかを記している。エレミヤがこの手紙を書いたのはゼデキヤ王の治世4年、前594年ごろだったと思われる。
−エレミヤ29:1-3「以下に記すのは、ネブカドネツァルがエルサレムからバビロンへ捕囚として連れて行った長老、祭司、預言者たち、および民のすべてに、預言者エレミヤがエルサレムから書き送った手紙の文面である・・・この手紙は、ユダの王ゼデキヤが、バビロンの王ネブカドネツァルのもとに派遣したシャファンの子エルアサとヒルキヤの子ゲマルヤに託された」。
・エレミヤは言う「バビロンの地で家を建てて住み、家族を持ち、その町の平和を求めて祈りなさい」と。
−エレミヤ29:4-7「私は、エルサレムからバビロンへ捕囚として送ったすべての者に告げる。家を建てて住み、園に果樹を植えてその実を食べなさい。妻をめとり、息子、娘をもうけ、息子には嫁をとり、娘は嫁がせて、息子、娘を産ませるように。そちらで人口を増やし、減らしてはならない。私が、あなたたちを捕囚として送った町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい。その町の平安があってこそ、あなたたちにも平安があるのだから」。
・「異国の地に捕囚されるという屈辱の中でも、絶望したり、あるいは早期の帰国を焦ってはいけない」とエレミヤは言う。その頃、ユダ本国ではバビロニヤの弱体化を予測して反乱や謀反を企てる動きがあり(27章)、捕囚地でもそれに呼応する動きがあった。それに対してエレミヤは解放を唱える預言者と占い師の言葉に惑わされるなと書き送る。
−エレミヤ29:8-9「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。あなたたちのところにいる預言者や占い師たちにだまされてはならない。彼らの見た夢に従ってはならない。彼らは、私の名を使って偽りの預言をしているからである。私は、彼らを遣わしてはいない、と主は言われる」。
・捕囚の民にエレミヤは大胆な預言を行う「捕囚は短期間ではなく、70年間続く。それに対応した生活をせよ」と。70年、今の世代は完全に死滅し、子や孫たちしか帰国できないという預言である。
−エレミヤ29:10-11「主はこう言われる。バビロンに七十年の時が満ちたなら、私はあなたたちを顧みる。私は恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す。私は、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである」。
・捕囚民はエレミヤの言葉を「災い」と受け取ったであろう。しかしエレミヤはそうではないと書き送る。
−エレミヤ29:12-14「そのとき、あなたたちが私を呼び、来て私に祈り求めるなら、私は聞く。私を尋ね求めるならば見いだし、心を尽くして私を求めるなら、私に出会うであろう、と主は言われる。私は捕囚の民を帰らせる」。

2.捕囚地の人々はどのように反応したのか

・21節以下の記事は捕囚地の預言者たちが解放を主張し、謀反としてバビロン当局により処刑されたことを暗示させる。
−エレミヤ29:21-22「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。それは、私の名を使って、あなたたちに偽りの預言をしているコラヤの子アハブとマアセヤの子ゼデキヤに対してである。今、私は彼らをバビロンの王ネブカドレツァルの手に渡す。王は彼らをあなたたちの目の前で殺す。この二人のことは・・・バビロンにいるユダの捕囚民は皆『主が、お前をバビロンの王に火あぶりにされたゼデキヤとアハブのようにしてくださるように』と言うようになるだろう」。
・24節以下の記事は、エレミヤの手紙が当地の指導者たちに歓迎されなかったことを示している。捕囚地の預言者シェマヤはエルサレムの大祭司ゼパデヤに「捕囚民を惑わす預言をするエレミヤを何故捕えないのか」と書き送っている。
−エレミヤ29:24-28「あなたはネヘラミ人シェマヤに対して告げよ。『イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。それは、お前が自分の名で、次の手紙をエルサレムのすべての民と、祭司であるマアセヤの子ツェファンヤと、すべての祭司に送ったことに関してである。すなわち、主は祭司ヨヤダに代えて、あなたを祭司とし、主の神殿の監督とし、狂い、預言する者すべてに手枷、足枷をはめ、取り締まらせた。それなのに、あなたたちに預言しているアナトトの人エレミヤをなぜ取り締まらないのか。エレミヤは、バビロンにいる我々のところにまで手紙を送って、捕囚は長引くので、家を建てて住めとか、園に果樹を植え、その実を食べよ、などと言ってきた』」。
・エレミヤの手紙は捕囚民には慰めにならなかった。捕囚民はエレミヤの勧めを無視し、祖国に残った人たちと手を組んで反乱を起こし、その結果、前587年にエレサレムの町は再占領され、イスラエルは滅ぼされた。捕囚民が帰国を許されたのは前538年、最初の捕囚から60年後のことだ。国を滅ぼされ、帰国の道を断たれた民は、神は何故イスラエルを滅ぼされたのかを求めて父祖からの伝承を集め、編集していった。創世記や出エジプト記等の五書が最終的に編集されたのは、この捕囚期だ。イスラエルの民は捕囚により、ダビデ王家とエルサレム神殿を中心とする民族共同体から、神の言葉、聖書を中心にする信仰共同体に変えられて行った。イスラエルが国土を失っても民族として生き残ることができたのは、エルサレムに帰還することが救いではなく、その地において神と共にあることが救いであることを知った故ではないかと思われる。
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