すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.詩篇52編の伝えるもの

・詩篇52編は前書きで「エドム人ドエグがサウルのもとに来て、『ダビデがアヒメレクの家に来た』と告げた時」と書く。この出来事はサムエル記上21−22章にある。若き日のダビデがサウル王から「王位をねらう者」と疑われ逃亡生活を送っていた時、祭司アヒメレクから供えのパンとゴリアテの剣をもらって急場をしのいだが、そのことをドエグから聞かされたサウル王は怒り、ダビデを支援したノブの町の祭司85人とその家族を皆殺しした事件である。その悲惨な出来事を聞いたダビデがこの詩を書いたと編集者は考えた。
−サムエル上22:18-19「王はドエグに『お前が行って祭司らを討て』と命じたので、エドム人ドエグが行って祭司らを討った。こうして、サウルはその日、亜麻布のエフォドを身に着けた者八十五人を殺し、また祭司の町ノブを剣で撃ち、男も女も、子供も乳飲み子も、牛もろばも羊も剣にかけた」。
・52編は、横暴な王がその武勇を誇り、悪を欲しいままにしていても、やがて神は彼を裁かれるとの内容を歌っており、詩篇編集者がアビメレク事件を引き起こしたサウル王の暴虐を想起してもおかしくない状況が描かれる。
−詩篇52:3-6「力ある者よ、なぜ悪事を誇るのか。神の慈しみの絶えることはないが、お前の考えることは破滅をもたらす。舌は刃物のように鋭く、人を欺く。お前は善よりも悪を、正しい言葉よりもうそを好み、人を破滅に落とす言葉、欺く舌を好む」。
・権力を握る王は地上に敵なしと思っているが、神は悪を放置されず、彼を天幕から引き出し、根絶される。
−詩篇52:7「神はお前を打ち倒し、永久に滅ぼされる。お前を天幕から引き抜き、命ある者の地から根こそぎにされる」。
・それを見て、神に従う人は言う「見よ、この男を。彼は自分の富と力に頼った故に、神に滅ぼされた」と。
−詩篇52:8-9「これを見て、神に従う人は神を畏れる。彼らはこの男を笑って言う。『見よ、この男は神を力と頼まず、自分の莫大な富に依り頼み、自分を滅ぼすものを力と頼んでいた』」。
・富と力に依り頼む愚かさを知った者は、神に依り頼む幸いを歌う。
−詩篇52:10-11「私は生い茂るオリーブの木。神の家にとどまります。世々限りなく、神の慈しみに依り頼みます。あなたが計らってくださいますから、とこしえに、感謝をささげます。御名に望みをおきます。あなたの慈しみに生きる人に対して恵み深い、あなたの御名に」。

2.信仰と現実

・「自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない愚かさ」を、イエスは、ルカ12章「愚かな金持ち」の例えとして話された。詩篇52編の信仰と同じ信仰がそこにある。
−ルカ12:16-21「ある金持ちの畑が豊作だった。金持ちは・・・言った『倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、こう自分に言ってやるのだ。さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめと』。しかし神は『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた」。
・詩篇52編は直接にはアヒメレク事件との関係はないであろう。しかし、自分を助けたアヒメレクとその一族が虐殺されたことを聞いたダビデの心境は、この詩人とおなじであったろう。サウルとドエグの犯したような罪は放置されず、神の裁きを受けるとの信仰は神の摂理を信じる者の共通の信仰である。事実、サウルはやがて窮地に追い込まれて戦死という悲惨な死を遂げ、ドエグもまた幸せな末路は遂げなかったと思われる。
−サムエル記上31:4-6「サウルは彼の武器を持つ従卒に命じた『お前の剣を抜き、私を刺し殺してくれ。あの無割礼の者どもに襲われて刺し殺され、なぶりものにされたくない』。だが、従卒は非常に恐れ・・・サウルは剣を取り、その上に倒れ伏した・・・この同じ日に、サウルとその三人の息子、従卒、更に彼の兵は皆死んだ」。
・この詩には預言者的信仰が満ちている。預言者は神の支配が現実の政治の場に反映されると考え、為政者に武器ではなく神に頼れと勧める。イザヤはシリア・エフライム連合軍が攻めて来た時、エジプトやアッシリヤに頼らず「神に頼め」とアハズ王に勧告するが、目の前に敵軍を見るアハズは従わず、アッシリヤに援軍を求める。イエスはイザヤのようなファンダメンタルの信仰ではなく、目の前の現実を踏まえた柔軟な対応をされる。
−マタイ26:52-54「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。私が父にお願いできないとでも思うのか。お願いすれば、父は十二軍団以上の天使を今すぐ送ってくださるであろう。しかしそれでは、必ずこうなると書かれている聖書の言葉がどうして実現されよう」。
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