すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  エレミヤ書  >  2010年6月3日祈祷会(エレミヤ書27章、エレミヤのくびき預言)
1.くびきをつけるエレミヤ

・エレミヤ書27章は、第一次捕囚後の前594年ごろ、パレスチナ諸国が反バビロン同盟を結成するためにエルサレムに集まり、エレミヤが首にくびきをつけて諸国の使節の前に現れ、こうした政治同盟の危険性を訴えたことが記されている。−エレミヤ27:1-3「ユダの王、ヨシヤの子ゼデキヤの治世の初めに、この言葉が主からエレミヤに臨んだ。『主は私にこう言われる。軛の横木と綱を作って、あなたの首にはめよ。そして、ユダの王ゼデキヤのもとに遣わされてエルサレムに来た、エドムの王、モアブの王、アンモン人の王、ティルスの王、シドンの王の使者たちに伝言を持ち帰らせよ』」。
・前597年にユダはバビロン軍に屈服し、王を始め多くの者が捕囚とされ、その後も重い朝貢に苦しんでいた。パレスチナ諸国も同じ状況下にあり、彼らはエジプトの支援を背景にバビロンからのくびきを逃れるために同盟を結成した。しかしエレミヤは今バビロンに逆らうことは主に逆らうことであり、徹敵的な報復を通して、国を滅ぼすことだと訴える。
−エレミヤ27:4-8「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる・・・私は、大いなる力を振るい、腕を伸ばして、大地を造り、また地上に人と動物を造って、私の目に正しいと思われる者に与える。今や私は、これらの国を、すべて私の僕バビロンの王ネブカドネツァルの手に与え、野の獣までも彼に与えて仕えさせる。諸国民はすべて彼とその子と、その孫に仕える・・・バビロンの王ネブカドネツァルに仕えず、バビロンの王の軛を首に負おうとしない国や王国があれば、私は剣、飢饉、疫病をもってその国を罰する、と主は言われる。最後には彼の手をもって滅ぼす」。
・エレミヤはネブカドネザルを「主の僕」と呼ぶ。神はバビロンを用いてイスラエルを撃たれた、今イスラエルが為すべきは神の前に悔い改めることであり、バビロンに逆らうことではない。しかし、国内の反バビロン派の預言者や祭司たちは、主の神殿がエルサレムにある限り、国が滅びることはなく、バビロンからのくびきも解かれると進言していた。
−エレミヤ27:9-11「あなたたちは、預言者、占い師、夢占い、卜者、魔法使いたちに聞き従ってはならない。彼らは、バビロンの王に仕えるべきではないと言っているが、それは偽りの預言である。彼らに従えば、あなたたちは国土を遠く離れることになる。私はあなたたちを追い払い、滅ぼす。しかし、首を差し出してバビロンの王の軛を負い、彼に仕えるならば、私はその国民を国土に残す、と主は言われる。そして耕作をさせ、そこに住まわせる」。

2.悔い改めよ、死ぬなと叫ぶエレミヤ

・人々が聞きたいことを求める時、その預言をする者たちが現れる。エレミヤが28章で対決するハナンヤもそのような宮廷預言者の一人だ。エレミヤは彼を「偽預言者」と糾弾する。
−エレミヤ28:1-4「その同じ年、ユダの王ゼデキヤの治世の初め、第四年の五月に、主の神殿において、ギブオン出身の預言者、アズルの子ハナンヤが、祭司とすべての民の前で私に言った『イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。私はバビロンの王の軛を打ち砕く。二年のうちに、私はバビロンの王ネブカドネツァルがこの場所から奪って行った主の神殿の祭具をすべてこの場所に持ち帰らせる。また、バビロンへ連行されたユダの王、ヨヤキムの子エコンヤおよびバビロンへ行ったユダの捕囚の民をすべて、私はこの場所へ連れ帰る、と主は言われる』」。
・エレミヤは諸国の大使たちに語った預言をゼデキヤ王にも語る。「バビロン王のくびきを負え、そうすればあなたもこの国も安泰だ。国を滅ぼしてはいけない。安易な道を選ぶな。死ぬな」と。
−エレミヤ27:12-14「ユダの王ゼデキヤにも、私は同じような言葉をすべて語った『首を差し出して、バビロンの王の軛を負い、彼とその民に仕えよ。そうすれば命を保つことができる。どうして、あなたもあなたの民も、剣、飢饉、疫病などで死んでよいであろうか。主がバビロンの王に仕えようとしない国に宣言されたように、バビロンの王に仕えるな、と言っている預言者たちの言葉に従ってはならない。彼らはあなたたちに偽りの預言をしているのだ』」。
・エレミヤは民にも直接語った「民族主義と宗教的熱狂に惑わされるな。主の言葉を聞け」と。
−エレミヤ27:16-17「私は祭司たちと、この民のすべてに向かって言った『主は言われる。主の神殿の祭具は今すぐにもバビロンから戻って来る、と預言している預言者たちの言葉に聞き従ってはならない。彼らは偽りの預言をしているのだ・・・バビロンの王に仕えよ。そうすれば命を保つことができる。どうしてこの都が廃虚と化してよいだろうか』。
・しかし、王も民もエレミヤの言葉を聞こうとはしない。戦後、在日朝鮮の人々は大挙して北朝鮮に帰国した。日本での生活難と将来への不安に悩む人々は、「北朝鮮は地上の楽園」との甘言に誘われ、帰国した。帰国した彼らを待っていたのは、地獄のような生活だった。NHK特集「北朝鮮に戻った在日の50年」を見た。人は何らかのくびきを背負って生きざるを得ない。そのくびきをはずそうとすればより大きなくびきが与えられる。重荷をいやいやながら担うのか、喜んで負うのかによって、人生の意味は違ってくる。イエスは私たちに十字架を背負って従うように言われた。イエスが十字架を背負われたのならば、私たちも背負って従おう。そこに命への道があるのだ。
−ルカ9:23-25「私について来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、私に従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、私のために命を失う者は、それを救うのである。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の身を滅ぼしたり、失ったりしては、何の得があろうか」。
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