すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  詩編  >  2010年5月26日祈祷会(詩編49編、人が死ぬ時に持っていけるものは)
1.人は命を金で贖うことはできない

・詩編49編は人の生死に焦点を当てる。詩人は貧しさゆえに金持ちから貪られ、権力者から迫害されている。何故義人が苦しみを受け、悪人が栄えるのか、しかし神はその謎の答えを下さった。だから私の言葉に聞けと詩人は訴える。
−詩編49:2-5「諸国の民よ、これを聞け。この世に住む者は皆、耳を傾けよ。人の子らはすべて、豊かな人も貧しい人も。私の口は知恵を語り、私の心は英知を思う。私は格言に耳を傾け、竪琴を奏でて謎を解く」。
・詩人は金があるゆえに権力を握り、傍若無人に振舞う者たちに苦しめられてきた。何故、神に逆らう者が栄え、神により頼む貧しい者を迫害することを、神は放置されるのか、納得が行かなかった。しかし永遠という視点で見れば別の面が見えてきた。人は命を金で贖うことはできないことに気づいた。
−詩編49:6-10「災いのふりかかる日、私を追う者の悪意に囲まれるときにも、どうして恐れることがあろうか。財宝を頼みとし、富の力を誇る者を。神に対して、人は兄弟をも贖いえない。神に身代金を払うことはできない。魂を贖う値は高く、とこしえに、払い終えることはない。人は永遠に生きようか。墓穴を見ずにすむであろうか」。
・イエスが「死の前には富も権力も無力であり、命は贖ないとる事はできない。だから自分の命(地上の生)のみを求める者は、本当の命を失う」と語られた時、この詩篇49:9を想起されていたのではないだろうか。
−マルコ8:34-37「(イエスは)群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた『私の後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、私のため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか』」。
・地上における不平等も死においては一挙に水平化される。人がいくら富を地上に積んでも彼はそれを墓場に持っていくことはできない。トルストイの民話「人にはどれだけの土地が必要か」が示すものも同じ真理である。人は自分を埋める墓地の用地があればよいのだ。
−詩編49:11-13「人が見ることは、知恵ある者も死に、無知な者、愚かな者と共に滅び、財宝を他人に遺さねばならないということ。自分の名を付けた地所を持っていても、その土の底だけが彼らのとこしえの家、代々に、彼らが住まう所。人間は栄華のうちにとどまることはできない。屠られる獣に等しい」。

2.死を贖うものは

・しかし、ここで問題が起きる。なるほど、死は地上の不平等を水平化する。死ねば金持ちも貧乏人もない。それならば神に従うことの意味がどこにあるのか。神に従う人(賢者)もまた神に逆らう者(愚者)と共に滅びるではないか。それがコヘレトの陥ったニヒリズムだ。
−伝道の書2:15-17「私はこうつぶやいた『愚者に起こることは、私にも起こる。より賢くなろうとするのは無駄だ』これまた空しい、と私は思った。賢者も愚者も、永遠に記憶されることはない。やがて来る日には、すべて忘れられてしまう。賢者も愚者も等しく死ぬとは何ということか。私は生きることをいとう。太陽の下に起こることは、何もかも私を苦しめる。どれもみな空しく、風を追うようなことだ」。
・「神に従う人生を送ってもどうせ滅びるのであれば、せめて生きている間は幸福でありたい」と人は思うであろう。その虚無主義を打ち破るのが信仰だ。人間は自らの命を贖うことはできなくとも神にはできる。それを信じた時、人は救われていく。旧約には死後の生という思想はないのに詩人はその境地に達している。
−詩編49:14-16「これが自分の力に頼る者の道、自分の口の言葉に満足する者の行く末。陰府に置かれた羊の群れ、死が彼らを飼う。朝になれば正しい人がその上を踏んで行き、誇り高かったその姿を陰府がむしばむ。しかし、神は私の魂を贖い、陰府の手から取り上げてくださる」。
・そこにはキリストに出会い、復活の命をいただいたパウロの叫びのような喜びがある。
−汽灰螢鵐15:54-55「この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、次のように書かれている言葉が実現するのです『死は勝利にのみ込まれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか』」。
・その真理を悟った者はもはや権力者も恐れないし、金持ちをうらやむこともない。彼らの名誉も金もこの地上だけのものであり、神の前には何の意味もないし、命を支配されるのは神であることを知ったからだ。
−詩編49:17-21「人に富が増し、その家に名誉が加わるときも、あなたは恐れることはない。死ぬときは、何ひとつ携えて行くことができず、名誉が彼の後を追って墓に下るわけでもない。命のある間に、その魂が祝福され、幸福を人がたたえても、彼は父祖の列に帰り、永遠に光を見ることはない。人間は栄華のうちに悟りを得ることはない。屠られる獣に等しい」。
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