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トップ  >  詩編  >  2010年4月28日祈祷会(詩編46編、万軍の主、我らと共に)
1.神の都をたたえる歌

・本詩は「神はわれらの避け所また力、悩める時のいと近き助け」と歌い、多くの讃美歌の題材にもなってきた。主題は万軍の主に対する信頼であり、8節、12節の繰り返しがその主題を示している。
-詩篇46:8(46:12)「万軍の主は私たちと共にいます。ヤコブの神は私たちの砦の塔」
・最初に詩人は、天地を支配される主をほめたたえる。主ご自身が「私たちの砦、避けどころ」であるがゆえに、大地や山々が揺れ動き、海が荒れ狂おうとも、私たちは恐れないと詩人は歌う。「山々が揺らぎ」、「海の水が騒ぎ」、「山々が震える」、いずれも創造以前の原始の混沌を意味する言葉だ。主はその混沌を秩序に変えて、天地を創造された。
-詩篇46:2-4「神は私たちの避けどころ、私たちの砦。苦難の時、必ずそこにいまして助けてくださる。私たちは決して恐れない、地が姿を変え、山々が揺らいで海の中に移るとも、海の水が騒ぎ、沸き返り、その高ぶるさまに山々が震えるとも」。
・天地を支配される方は、また歴史をも支配される方である。国々がどのように武力を誇ろうとも、主の前においては何の意味もなく、主の御声で地の力は溶けさる。主は住まいである聖所、神の都シオンを守って下さる。
-詩篇46:5-7「大河とその流れは、神の都に喜びを与える、いと高き神のいます聖所に。神はその中にいまし、都は揺らぐことがない。夜明けとともに、神は助けをお与えになる。すべての民は騒ぎ、国々は揺らぐ。神が御声を出されると、地は溶け去る」。
・現実のイスラエルは東のメソポタミヤ、西のエジプトの二大帝国の狭間の中で、常に独立が脅かされ、繰り返し占領され、支配されてきた。その中で詩人は「主が共におられる故に私たちは揺るがない。主は弓を砕き、槍を折り、盾を焼かれて、地の果てまでも戦いを終わらせる方だ」との信仰を表明する。
-詩篇46:9-10「主の成し遂げられることを仰ぎ見よう。主はこの地を圧倒される。地の果てまで、戦いを断ち、弓を砕き槍を折り、盾を焼き払われる」。
・詩人は「私たちはこの主に依り頼んで国の平和を守る」と宣言する。
-詩篇46:11「力を捨てよ、知れ、私は神。国々にあがめられ、この地であがめられる」
・「私たちは主に依り頼んで国の平和を守る」、日本国憲法と同じ精神がここに流れている。
−憲法前文「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」。

2.神の都とは何か

・この詩の背景にあるのは、「神の都シオンは永遠である」というシオン神学がある。イザヤは「聖なる万軍の主の御座であるエルサレムは滅びない」と宣言し、国際情勢の変動に動揺する為政者に対して「恐れるな、平静であれ」と説き、「大国にも軍備にも頼るな」と戒めた。アッシリアが攻めて来た時、イザヤの預言通り、武力に勝る敵軍が撤退した。
−イザヤ37:36-37「主の御使いが現れ、アッシリアの陣営で十八万五千人を撃った。朝早く起きてみると、彼らは皆死体となっていた。アッシリアの王センナケリブは、そこをたって帰って行き、ニネベに落ち着いた」。
・それに対してエレミヤは罪を犯した民を主は罰せられ、シオンでさえも捨てられると説いた。エレミヤの言葉を「聖なる都」に対する冒涜とした祭司たちは裁判でエレミヤの死刑を求め、シオンの不可侵性を守ろうとした。
−エレミヤ26:9「なぜ、あなたは主の名によって預言し、この神殿はシロのようになり、この都は荒れ果てて、住む者もなくなると言ったのか・・・祭司と預言者たちは、高官たちと民のすべての者に向かって言った『この人の罪は死に当たります。彼は、あなたがた自身が聞かれたように、この都に敵対する預言をしました』」。
・しかしエルサレムは破壊され、エルサレム神殿は焼き払われた。シオンは不可侵ではなかった。
−列王記下25:8-10「第五の月の七日、バビロンの王ネブカドネツァルの第十九年のこと、バビロンの王の家臣、親衛隊の長ネブザルアダンがエルサレムに来て、主の神殿、王宮、エルサレムの家屋をすべて焼き払った。大いなる家屋もすべて、火を放って焼き払った。親衛隊の長と共に来たカルデア人は、軍をあげてエルサレムの周囲の城壁を取り壊した」。
・エルサレムが聖なるのではなく、神が聖なる方だと知った人々は、「争いを終わらせる主」を待望するようになる。
−ミカ4:1-3「終わりの日に、主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち、どの峰よりも高くそびえる。もろもろの民は大河のようにそこに向かい、多くの国々が来て言う『主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主は私たちに道を示される。私たちはその道を歩もう』と・・・主は多くの民の争いを裁き、はるか遠くまでも、強い国々を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」。
・「剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする」、この言葉はニューヨークの国連ビルの土台石に刻まれている言葉として有名だ。20世紀の前半は戦争の世紀だった。二次大戦が終わった時、人々はもう戦争は止めようとして国連を組織し、武器を捨てると言う決意で土台石にこの言葉を刻み込んだ。しかし、戦争は終わらなかったし、今でも続いている。それにも関わらず、私たちはこの御言葉を読む。この言葉は亡国と言う苦難の上に建てられた人類の遺産だ。
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