すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  詩編  >  2010年3月31日祈祷会(詩編41編、憐れみ深い人は幸いである)
1.人から忌み嫌われる病に冒されて

・詩篇第一部は詩篇41編で終わる。第一部は「いかに幸いなことか」(1:1)で始まり、「いかに幸いなことか』(41:2)で終わる。詩篇は本来的に讃美の歌なのである。
−詩篇41:2「いかに幸いなことでしょう、弱いものに思いやりのある人は。災いのふりかかるとき、主はその人を逃れさせてくださいます」。
・それはイエスの山上の説教を想起させる。イエスもまた「憐れみ深い人は幸いである」と祝福された。
−マタイ5:7「憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける」。
・しかし人が憐れみを知るためには、彼もまた苦難の中に苦しみ、そこで神と出会わなければいけない。神の憐れみを知る者だけが、人に憐れみ深い者となる。詩人もかつて重い病に罹り、「早く死ね」と言われたことがあった。
−詩篇41:5-9「私は申します『主よ、憐れんでください。あなたに罪を犯した私を癒してください』。敵は私を苦しめようとして言います『早く死んでその名も消えうせるがよい』。見舞いに来れば、むなしいことを言いますが、心に悪意を満たし、外に出ればそれを口にします。私を憎む者は皆、集まってささやき、私に災いを謀っています『呪いに取りつかれて床に就いた。二度と起き上がれまい』」。
・人々は彼の病苦を忌避し、呪われた者と攻撃した。彼を見舞うのは死に定められた彼の病状を確認するためであり、人々は呪われた者の破滅を病者に見ようとする。古代、そのように呪われた病はらい病であった。
-レビ記(口語訳)13:45-46「らい病人は、その衣服を裂き、その頭を現し、その口ひげをおおって『汚れた者、汚れた者』と呼ばわらなければならない。その患部が身にある日の間は汚れた者としなければならない。その人は汚れた者であるから、離れて住まなければならない。すなわち、そのすまいは宿営の外でなければならない」。
・以前は親しかった者も彼の病を忌み嫌って遠ざかり、嘲笑する。
-詩篇41:10「私の信頼していた仲間、私のパンを食べる者が、威張って私を足げにします」。
・愛する者に裏切られる悲しみはいかほどであろう。イエスもユダに裏切られることを通して、その悲しみを知られたとヨハネは詩篇41:10を引用して記す。
-ヨハネ13:18-21「私は、どのような人々を選び出したか分かっている。しかし、私のパンを食べている者が、私に逆らったという聖書の言葉は実現しなければならない。・・・イエスはこう話し終えると、心を騒がせ、断言された『はっきり言っておく。あなたがたのうちの一人が私を裏切ろうとしている』」。

2.病からの救済を通して出る感謝の歌

・詩人は病からの救済を主に願った。彼の病が呪いではなく、彼は主の祝福の中にいることを知らせるために。「彼らを見返すために」、信仰者であっても、人は自己愛や他者への報復本能から逃れることはできない。
-詩篇41:11-12「主よ、どうか私を憐れみ再び私を起き上がらせてください。そうしてくだされば彼らを見返すことができます。そして私は知るでしょう、私はあなたの御旨にかなうのだと、敵が私に対して勝ち誇ることはないと」。
・順調な時社会は人を称賛するが、一旦逆境になれば手の平を返したように、彼を攻撃する。鈴木正久はかつて数百人が集う本郷中央教会の牧師であったが、太平洋戦争の激化と共に、信徒が教会から離れていく悲哀を経験した。
−鈴木正久説教(1961/4/30)「太平洋戦争が始まると、礼拝に集まる者は30人、20人と少なくなり、最後は7〜8人に減ってしまった。それのみならず、ある時、長老の一人が『非常時に(敵性宗教であるキリスト教の礼拝を続けることは)国策に沿わないと反対さえした』」。
・その悲しみを知る者だけが、本当に人を憐れむことができる。かつて神によって憐れまれた体験をしたからだ。だから悲しむ者は幸いなのだ。悲しみを通して、人は主に出会う。
−マタイ5:3-5「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ」。
・どのような困難の中にあっても神は共にいて下さり、私たちを憐れんで下さる。詩人もつらい時を過ごしたゆえに、そのように言いきることができる。
−詩篇41:3-4 「主よ、その人を守って命を得させ、この地で幸せにしてください。貪欲な敵に引き渡さないでください。主よ、その人が病の床にあるとき、支え、力を失って伏すとき、立ち直らせてください」。
・悲しみは時には人を殺し、また人に命を与える。悲しみや苦難を神の御旨と受け止めた時、命が生まれる。
−競灰螢鵐7:10「神の御心に適った悲しみは、取り消されることのない救いに通じる悔い改めを生じさせ、世の悲しみは死をもたらします」。
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