すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  詩編  >  2010年2月17日祈祷会(詩編35編、予期しない艱難に襲われた時)
1.予期しない艱難に襲われた時、人はどうするのか

・人はしばしば予期しない艱難に直面させられる。災害であったり、病気であったり、裏切りであったり、事業の失敗であったりする。その時、人がまず問うのはその不条理さだ。「何故私に」、「何も悪いことをしていないのに」、「正直に生きてきたのに」、と人は思う。詩編35編の作者も艱難の不当さを主に訴える。
−詩編35:1-3「主よ、私と争う者と争い、私と戦う者と戦って下さい。大盾と盾を取り、立ち上がって私を助けて下さい。私に追い迫る者の前に、槍を構えて立ちふさがって下さい。どうか、私の魂に言って下さい『お前を救おう』と」。
・次に人はその艱難をもたらした原因や相手を呪い、相手の破滅、死をさえ願う。
-詩編35:4-6「私の命を奪おうとする者は、恥に落とされ、嘲りを受けますように。私に災いを謀る者は、辱めを受けて退きますように。風に飛ぶもみ殻となった彼らが、主の使いに追い払われますように。道を暗闇に閉ざされ、足を滑らせる彼らに、主の使いが追い迫りますように」。
・信仰者でさえ相手の破滅を願う。人は敵を愛することはできない。そのことを知ることが必要だ。
-詩編35:7-8「彼らは無実な私を滅ぼそうと網を張り、私の魂を滅ぼそうと落とし穴を掘りました。どうか、思わぬ時に破滅が臨み、彼らが自ら張った網に掛かり、破滅に落ちますように」。
・しかし信仰者はその救済を神に願い、自分の手で敵に報復しない。その時に、心の目が開き、主が共におられることを知り、感謝と讃美の歌が生まれる。このようにして、信仰者は艱難の中でも讃美することができる。
−詩編35:9-10「私の魂は主によって喜び躍り、御救いを喜び楽しみます。私の骨はことごとく叫びます『主よ、あなたに並ぶものはありません。貧しい人を強い者から、貧しく乏しい人を搾取する者から、助け出して下さいます』」。

2.知人から裏切られ、虚偽の訴えに苦しめられた時

・それでも敵への憎しみを消すことはできない。これまで愛し、心を配ってきた人が裏切った、その人が無実の私をわなに陥れた。赦せない。彼は憤る、信仰者もまた恨み、怒り、憤る。
−詩編35:11-15「不法の証人が数多く立ち、私を追及しますが、私の知らないことばかりです。彼らは私の善意に悪意をもってこたえます。・・・彼らが病にかかっていた時、私は粗布をまとって断食し・・・胸の内に祈りを繰り返し、彼らの友、彼らの兄弟となり、母の死を悼む子のように嘆きの衣をまとい、うなだれて行き来したのに、私が倒れれば彼らは喜び、押し寄せます。私に向かって押し寄せ、私の知らないことについて私を打ち、とめどもなく引き裂きます」。
・人は自分の好意が報われないと怒り出す。彼の好意は見返りを求めていたからだ。無償の愛は私たちの内にはない。人は敵からの救済を神に祈るが、そこに含まれるものは自分を陥れる者への恨みだ。
−詩編35:17-20「主よ、いつまで見ておられるのですか。彼らの謀る破滅から、私の魂を取り返してください。多くの若い獅子から私の身を救ってください。優れた会衆の中であなたに感謝をささげ、偉大な民の中であなたを賛美できますように。敵が不当に喜ぶことがありませんように。無実な私を憎む者が、侮りの目で見ることがありませんように。彼らは平和を語ることなく、この地の穏やかな人々を欺こうとしています」。
・敵は「見てもいないのに、私は見た」と偽証し、私を破滅に追い込めようとする。「主よ、どうかあなたが裁いて下さい。真実を示してください」と詩人は祈る。
−詩編35:21-23「私に向かえば、大口を開けて嘲笑い、『この目で見た』と言います。主よ、あなたは御覧になっています。沈黙なさらないでください。私の主よ、遠く離れないでください。私の神、私の主よ、目を覚まし、起き上がり、私のために裁きに臨み、私に代わって争ってください」。
・しかし彼は自分が敵を呪わざるを得ない存在であり、神の前に罪なしとして立てない存在であることを知る。だから彼は「主を讃美できますように、相手と同じ罪に陥ることがありませんように」と祈る。
−詩編35:27-28「私が正しいとされることを望む人々が、喜び歌い、喜び祝い、絶えることなく唱えますように、『主をあがめよ、御自分の僕の平和を望む方を』と。私の舌があなたの正しさを歌い、絶えることなくあなたを賛美しますように」。
・この詩を読んで内村鑑三「基督信徒の慰め」を思い出した。内村は明治24年不敬事件で、教職を追われ、最愛の妻と死別、教会からの追放など試練が次々に襲う。彼は言う「今やこの頼みに頼みし国人に捨てられて、余は帰るに故山なく、求むるに朋友なきに至れり、天の下には身を隠すに家なく、他人に顔を会し得ず、孤独淋しさ言わん方なきに至れり」(「基督信徒の慰め」より)。彼はそこから出発した。無教会主義を唱え、日露戦争では非戦を唱える。「戦争は人を殺すことである。そうして人を殺すことは大罪悪である。大罪悪を犯して個人も国家も永久に利益を収め得ようはずはない」(万朝報記事より)。戦時中にこの発言ができる彼の強さは、試練を乗り越えたところから来る。艱難は人を育てるのだ。
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