すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  詩編  >  2010年1月27日祈祷会(詩編32編、罪を赦された者の幸い)
1.罪の告白と赦し

・詩編32編は罪を犯して苦しみ、その罪を主に告白して赦しを受けた詩人の感謝の歌である。古来より、七つの「悔い改めの詩」として知られ、アウグスチヌスの愛唱歌であったという。
−詩編32:1-2「いかに幸いなことでしょう、背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。いかに幸いなことでしょう、主に咎を数えられず、心に欺きのない人は」。
・ここで罪の三つの形態(背き=神に逆らうこと、罪=的はずれであること、咎=罪の個々の内容)が指摘される。背きは赦され、罪は覆われ、咎は数えられない。パウロは罪の赦しとは人の行い(善行を積む、禁欲を行う等)ではなく、神の一方的な恵みであることの論拠としてこの詩編を取り上げる。
−ローマ4:6-8「ダビデも、行いによらずに神から義と認められた人の幸いを、次のようにたたえています。『不法が赦され、罪を覆い隠された人々は、幸いである。主から罪があると見なされない人は、幸いである』」。
・古代の人々は災害や病苦を罪の結果として受け止めた。従って彼らにとって、罪の赦しとは良心の呵責からの解放であると同時に、災害や苦難の除去と結びついていた。本詩においても、罪の結果として心身の衰弱が与えられたこと、罪を告白したとき、心身の衰弱が取り除かれたことが歌われている。
−詩編32:3-5「私は黙し続けて、絶え間ない呻きに骨まで朽ち果てました。御手は昼も夜も私の上に重く、私の力は夏の日照りにあって衰え果てました。私は罪をあなたに示し、咎を隠しませんでした。私は言いました『主に私の背きを告白しよう』と。そのとき、あなたは私の罪と過ちを赦してくださいました」。
・罪は告白することによって赦される。ドストエフスキー「罪と罰」においても、ラスコリニコフが殺人の罪を衆人の前で告白し、大地に接吻した時に、罪の赦しが始まった。レビ記5:5は記す「罪を犯した者はまずその罪を告白し、その後で罪を清めるための供犠を捧げよ」と。イエスが山上の説教で教えられたのも同じだ(マタイ5:23-24)。
−マタイ5:23-24「あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい」。

2.赦しから解放へ

・罪の解決は人間の側からの罪の告白で始まる。告白とは神の前におのれの罪をさらけ出し、神の前に魂を裸にすることだ。ヨブの救いもそのようにしてなされた。
−ヨブ記42:5-6「あなたのことを、耳にしてはおりました。しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。それゆえ、私は塵と灰の上に伏し、自分を退け、悔い改めます」。
・しかし、罪は赦されてもその償いは残る。殺人を犯した者の罪が赦されても、彼は服役しなければならない。ヨブは平安をいただく前に長い苦闘を経ている。イスラエルもその罪にゆえに、70年間のバビロン捕囚を必要とした。
−イザヤ40:1-2「慰めよ、私の民を慰めよとあなたたちの神は言われる。エルサレムの心に語りかけ、彼女に呼びかけよ、苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた、と。罪のすべてに倍する報いを、主の御手から受けたと」。
・安価な恩寵は人を再生させることはできない。十字架の苦しみを知ったものだけが復活の喜びを知るのだ。罪を赦された人は償いを通して清められていく。「罪と罰」のラスコリニコフが最終的な回心に至ったのは、服役後数年経ってからであった。
−詩編32:6-7「あなたの慈しみに生きる人は皆、あなたを見いだしうる間にあなたに祈ります。大水が溢れ流れるときにも、その人に及ぶことは決してありません。あなたは私の隠れが。苦難から守ってくださる方。救いの喜びをもって私を囲んでくださる方」。
・自らの罪を赦された詩人は、聴衆に共に賛美の歌を歌うように勧める。動物は罪から解放される喜びを知らぬゆえに、常にくつわや手綱を必要とする。しかし、新しく生まれた者はもはや外部からの統制を必要としない。
−詩編32:8-9「私はあなたを目覚めさせ、行くべき道を教えよう。あなたの上に目を注ぎ、勧めを与えよう。分別のない馬やらばのようにふるまうな。それはくつわと手綱で動きを抑えねばならない。そのようなものをあなたに近づけるな」。
・本当の罪の赦しは、人生を一転させる。それは「新生」と呼ばれる。新生なき赦しは偽りだ。
−詩編32:10-11「神に逆らう者は悩みが多く、主に信頼する者は慈しみに囲まれる。神に従う人よ、主によって喜び躍れ。すべて心の正しい人よ、喜びの声をあげよ」。
・新生した者はもう他者の罪を数えない。人を愛するとは相手の罪を数え上げないことだとイエスは教えられる。
−ルカ7:47-48「『この人が多くの罪を赦されたことは、私に示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない』。そして、イエスは女に、『あなたの罪は赦された』と言われた」。
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