すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  詩編  >  2010年1月20日祈祷会(詩編31編、私の霊を御手に委ねます)
1.私の霊を御手に委ねます

・詩編31:6「主よ、御手に私の霊を委ねます」は、イエスが十字架上で最後に言われた言葉として有名だ。この言葉をイエスはどのような思いで最後に言われたのだろうか。
−ルカ23:44-46「既に昼の十二時ごろであった。全地は暗くなり、それが三時まで続いた。太陽は光を失っていた・・・・イエスは大声で叫ばれた『父よ、私の霊を御手にゆだねます』。こう言って息を引き取られた」。
・最初に詩人は歌う「主よ、あなたに依り頼みます。あなたの義によって私を助けてください」と。
−詩編31:2「主よ、私はあなたに寄り頼みます・・・あなたの義をもって私をお助けください」(口語訳)。
・新共同訳「恵みの御業によって」は直訳すると「あなたの義をもって」となる。ここに神の義とは救済であることが歌われる。「神の義とは裁きであり、正しい者とそうでない者が峻別され、正しくない者は滅ぼされる」というのが旧約伝来の考え方であった。旧約を伝承する洗礼者ヨハネもそう考えていた。
−ルカ3:9「斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる」。
・しかしイエスは神の義とは「神の憐れみ」であり、神は人を救うために行為されると教えられた。これをパウロは「福音に示された神の義」と定義する(ローマ1:17)。ルターが「人は行いではなく、信仰によって救われる」ことを見出したのは、詩編31:1に出会った時であった。この福音の再発見によって宗教改革が始まった。
−ルカ7:22-23「行って、見聞きしたことをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。私につまずかない人は幸いである」。
・詩人の置かれている状況は厳しい。「人はみな自分を嘲り、親しい人も避けて通る」、「人は私を死者のように葬り去る」、らい病のように、人から忌み嫌われる病気になったのかもしれない。
−詩編31:12-14「私の敵は皆、私を嘲り、隣人も、激しく嘲ります。親しい人々は私を見て恐れを抱き、外で会えば避けて通ります。人の心は私を死者のように葬り去り、壊れた器と見なします。ひそかな声が周囲に聞こえ、脅かすものが取り囲んでいます。人々が私に対して陰謀をめぐらし、命を奪おうとたくらんでいます」。
・らい病=へブル語「ツァラット」は「神に打たれた」との意味を持つ。彼らは町に入ることを許されず、「汚れた者」として社会から排斥された。
−レビ記13:45-46「重い皮膚病にかかっている患者は、衣服を裂き、髪をほどき、口ひげを覆い、『私は汚れた者です。汚れた者です』と呼ばわらねばならない。この症状があるかぎり、その人は汚れている。その人は独りで宿営の外に住まねばならない」。

2.私の時はあなたの御手の中にあります

・社会から排斥される、人から受け入れられないほど、つらいことはない。詩人はその苦しみを素直に神に訴える。信仰者は誰も聞いてくれなくとも、神は聞いてくださると信じることにより、孤独から解放される。
−詩編31:10-11「主よ憐れんでください、私は苦しんでいます。目も、魂も、はらわたも、苦悩のゆえに衰えていきます。命は嘆きのうちに、年月は呻きのうちに尽きていきます。罪のゆえに力はうせ、骨は衰えていきます」。
・その祈りの中で、この苦しみもまた「神の御手の中にある」ことを、詩人は知る。詩人は歌う「私の時はあなたの御手の中にあります」と。この苦難もあなたが与えてくれたのですから、この時を委ねますと。
−詩編31:14-15「しかし、主よ、私はあなたに信頼して、言います『あなたは私の神である』と。私の時はあなたのみ手にあります。私を私の敵の手と、私を責め立てる者から救い出してください」(口語訳)。
・人が見捨てても神は見捨てられない。そして神は彼に新しい友を、彼が病気であっても、彼が社会からつまはじきにされていても、彼を受け入れてくる友を与えられる。彼は感謝の賛美を歌う。
−詩編31:22-25「主をたたえよ。主は驚くべき慈しみの御業を、都が包囲されたとき、示してくださいました。恐怖に襲われて、私は言いました『御目の前から断たれた』と。それでもなお、あなたに向かう私の叫びを、嘆き祈る私の声を、あなたは聞いてくださいました。主の慈しみに生きる人はすべて、主を愛せよ。主は信仰ある人を守り、傲慢な者には厳しく報いられる。雄々しくあれ、心を強くせよ、主を待ち望む人はすべて」。
・イエスの前に連れてこられた姦淫の女性も同じ体験をした。この体験は人を根底から変えていく。
−ヨハネ8:10-11「イエスは、身を起こして言われた『婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか』。女が、『主よ、だれも』と言うと、イエスは言われた。『私もあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない』」。
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