すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  詩編  >  2010年1月13日祈祷会(詩編30編、涙が喜びに)
1.死に至る病からの救済

・本詩は死に至る病から救済された詩人が、その感謝を歌う詩である。主は「私を引き上げ」、「私をいやし」、「陰府から引き上げて」、下さったと詩人は賛美する。
-詩編30:2-4「 主よ、あなたをあがめます。あなたは敵を喜ばせることなく、私を引き上げてくださいました。私の神、主よ、叫び求める私を、あなたは癒してくださいました。主よ、あなたは私の魂を陰府から引き上げ、墓穴に下ることを免れさせ、私に命を得させてくださいました」。
・ここで言われる敵とは病気を引き起こす悪霊を指すのであろう。古代人は病苦を神の怒りと考えた。しかし、その怒りは一時だ。神の本質は憐れみであり、怒りは人を正しい道に導くための道具だ。だから夕べに泣きながら床に就いた者も、朝には喜びに満たされる。
-詩編30:5-6「主の慈しみに生きる人々よ、主に賛美の歌をうたい、聖なる御名を唱え、感謝をささげよ。ひととき、お怒りになっても、命を得させることを御旨としてくださる。泣きながら夜を過ごす人にも、喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる」。
・神は人を滅ぼすためではなく、教え諭すために怒られる。その怒りを通して、自分が誤った土台の上にその生を建てていたことを彼は知る。それまでは自分で何でもできると考えていた。しかし、病を通して、自己の無力を知らされた。「主が御顔を隠される」、病苦をいただいて、初めてそれがわかったと詩人は言う。
-詩編30:7-8「平穏なときには、申しました『私はとこしえに揺らぐことがない』と。主よ、あなたが御旨によって、砦の山に立たせてくださったからです。しかし、御顔を隠されると、私はたちまち恐怖に陥りました」。
・河野進は歌った「病まなければ捧げえない祈りがある」。精神科医・平山正実氏の診察室にも飾ってあった。
−河野進詩集から「病まなければ、ささげ得ない祈りがある。病まなければ信じ得ない奇跡がある。病まなければ、聴き得ない御言がある。病まなければ近づき得ない聖所がある。病まなければ、仰ぎ得ない聖顔がある。おお病まなければ、私は人間でさえもあり得なかった」。

2.救済されない人はどうするのか

・旧約には死を超えた神との交わりという信仰はない。死、陰府に降ることは、神との断絶だ。だから、この「死の床より救ってください」と詩人は祈る。
-詩編30:9-11「主よ、私はあなたを呼びます。主に憐れみを乞います。私が死んで墓に下ることに、何の益があるでしょう。塵があなたに感謝をささげ、あなたのまことを告げ知らせるでしょうか。主よ、耳を傾け、憐れんでください。主よ、私の助けとなってください」。
・祈りは聞かれ、詩人は喜ぶ。彼の「嘆き」は「踊り」に変わり、身にまとう「粗布」は「喜びの帯」に変わる。
−詩編30:12-13「あなたは私の嘆きを踊りに変え、粗布を脱がせ、喜びを帯として下さいました。私の魂があなたをほめ歌い、沈黙することのないようにして下さいました。私の神、主よ、とこしえにあなたに感謝をささげます」。
・病がいやされた者は感謝する。しかし、不治の病に冒され、祈りも空しく死んで行く人も多い。その場合にも、私たちはそこに積極的な意味を見出しうるであろうか。原崎百子姉は死を前にして「わが涙よ、わが歌となれ」と詠まれた。しかし、これは誰でも歌える歌ではない。
*原崎百子姉は、肺ガンに冒され、闘病の後、1978年8月10日に天に召された。43歳であった。7月30日主日が最後の礼拝となった。その日の日記から「主の日、私たちの一週の冠である主の日。主の日は一週の出発であり、中心であり、目的である。どうかこの日、心から主をあがめ、ほめたたえることが出来るよう、朝食前祈った。礼拝。歩いて行かれない。歌えない。唱えられない。そういう私の礼拝を、本気の礼拝として捧げることを考える」。彼女は歌う。それが「わが涙よわが歌となれ」という歌だ。
*「わがうめきよ わが讃美の歌となれ わが苦しい息よ わが信仰の告白となれ わが涙よ わが歌となれ 主をほめまつるわが歌となれ わが病む肉体から発する すべての吐息よ 呼吸困難よ 咳よ 主を讃美せよ わが熱よ 汗よ わが息よ 最後まで 主をほめたたえてあれ」(原崎百子「わが涙よわが歌となれ」)
・病は人の存在に対する不安や問いを引き起こす。不治、難治の病に襲われた人は問うだろう「何故、この私に」。「神が御顔を隠された」、「神に見捨てられた」という体験を誰もがする。その病気や障害の中に、神の「しかり」があることをどのように伝えればよいのか、「にもかかわらず」の信仰はどうすれば芽生えるのだろうか。
-イザヤ63:19「あなたの統治を受けられなくなってから、あなたの御名で呼ばれない者となってから、私たちは久しい時を過ごしています。どうか、天を裂いて降ってください。御前に山々が揺れ動くように」。
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