すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  詩編  >  2010年1月6日祈祷会(詩編29編、自然の中に自己を啓示される神)
1.雷を神とするカナンの人々に抗して

・詩編29編は自然の中に自己を啓示される神を示す。稲妻を光らせ、雷鳴をとどろかせる雷や嵐に、人は畏怖の念を覚え、これを神として拝しやすい。古代パレスチナの神バアルは雷神であり、日本人も雷を神の声(神鳴り)としてきた。しかしイスラエルは雷は神ではなく、「被造物」にすぎないとして、栄光を主に帰せよと歌う。
−詩編29:1-2「神の子らよ、主に帰せよ、栄光と力を主に帰せよ。御名の栄光を主に帰せよ。聖なる輝きに満ちる主にひれ伏せ」。
・エジプト人は太陽を神とし、メソポタミミアの人々の主神は月であった。イスラエルが導かれたカナンの人々(フェニキア人)は雨をもたらす雷神を主(バアル)と呼んだ。しかしイスラエルは自然を神格化しない。主なる神は混沌の大水を制して天地を創造された(創世記1:2)。自然が神ではなく、自然は神の啓示であるとの信仰だ。
−詩編29:3-4「主の御声は水の上に響く。栄光の神の雷鳴はとどろく。主は大水の上にいます。主の御声は力をもって響き、主の御声は輝きをもって響く」。
・バアルの神に支配されているカナンの地、北のレバノンやヘルモンの山々、南のカデシュからエイラトに至る地域に主の御声が響き、人々はもだえる(9節アイヤロート=新共同訳・雌鹿はエイラトと読んだ方がつながりが良い)。
−詩編29:5-9「主の御声は杉の木を砕き、主はレバノンの杉の木を砕き、レバノンを子牛のように、シルヨン(ヘルモン)を野牛の子のように躍らせる。主の御声は炎を裂いて走らせる。主の御声は荒れ野をもだえさせ、主はカデシュの荒れ野をもだえさせる。主の御声は雌鹿(エイラト)をもだえさせ、月満ちぬうちに子を産ませる」。
・レバノンの杉は高貴と誇りの象徴だ。しかし主は奢るものを砕かれる。
−イザヤ2:12「万軍の主の日が臨む、すべて誇る者と傲慢な者に、すべて高ぶる者に、彼らは低くされる。高くそびえ立つレバノン杉のすべてに、バシャンの樫の木のすべてに、高い山、そびえ立つ峰のすべてに、高い塔、堅固な城壁のすべて・・・その日には、誇る者は卑しめられ、傲慢な者は低くされ、主はただひとり、高く上げられる」。

2.自然を支配される主を称える

・カナンの人々は雷を神として畏れた。しかし、イスラエルは雷鳴を「神の声」として聞くのではなく、雷鳴を非神話化し、これを「主の御声の顕現」として聞く。何故ならば、彼らはすでに出エジプトの出来事を通して主なる神に出会っているから、雷を神とする偶像崇拝から抜け出している。
−詩編68:34「いにしえよりの高い天を駆って進む方に。神は御声を、力強い御声を発せられる。力を神に帰せよ。神の威光はイスラエルの上にあり、神の威力は雲の彼方にある」。
・人は絶対なる神に出会った時に、初めて自然や人を相対化できる。洪水も人も主の支配下にある。だから高い山を霊峰と呼び、権力者を神と呼ぶ必要はない。詩人は歌う「栄光を、神に帰せよ」。
−詩編29:10「主は洪水の上に御座をおく。とこしえの王として、主は御座をおく。どうか主が民に力をお与えになるように。主が民を祝福して平和をお与えになるように」。
・日本においては、高い山を霊峰と呼び、権力者を神と呼ぶ。富士山は霊峰とされ、明治神宮や乃木神社に詣でる。日本は人間の造り出した偶像神に囲まれており、カナンやアテネと同じ偶像礼拝の国だ。
−使徒言行録17:22-24「パウロは、アレオパゴスの真ん中に立って言った『アテネの皆さん、あらゆる点においてあなたがたが信仰のあつい方であることを、私は認めます。道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、知られざる神にと刻まれている祭壇さえ見つけたからです。それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それを私はお知らせしましょう。世界とその中の万物とを造られた神が、その方です。この神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません』」。
・荒野でサタンが「この石をパンに変えよ」と迫った時、イエスは言われた「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」(マタイ4:4)。人間はパンという現実にとらわれるが、パンを含めて必要なものは主が与えてくださることを信じた時、パンを相対化できる。パンを相対化した者はパン以上のものを求める。
−マタイ6:31-33「だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」。
・全地は主のもの、人間はその管理を任せられている存在であることを知った時、人間は人間になっていく。
−詩編97:4「稲妻は世界を照らし出し、地はそれを見て、身もだえし、山々は蝋のように溶ける、主の御前に、全地の主の御前に。天は主の正しさを告げ知らせ、すべての民はその栄光を仰ぎ見る」。
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