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トップ  >  エレミヤ書  >  2009年12月31日祈祷会(エレミヤ書6章、神の痛みと預言者の痛み)
1.神の痛み

・エレミヤが預言を始めたのは前626年、第一次捕囚(バビロンの支配下に入る)が前597年、第二次捕囚(エルサレム滅亡)は前587年、エレミヤはその混乱の中で殺される。エレミヤは40年間預言をしたが、大半は国の滅亡預言だった。エレミヤ書1−6章は彼の初期預言、ヨシア王(在位前622-609年)時代の預言である。イスラエルはアッシリアの圧政から解放され、人々は自由と繁栄を楽しんでいた。その時代にエレミヤは罪による審き、滅亡を預言し始める。晴天の中での嵐の預言であり、誰も聞こうとはしなかった。エレミヤは嘆く。
−エレミヤ6:10-11「誰に向かって語り、警告すれば、聞き入れるのだろうか。見よ、彼らの耳は無割礼で、耳を傾けることができない。見よ、主の言葉が彼らに臨んでも、それを侮り、受け入れようとしない。主の怒りで私は満たされ、それに耐えることに疲れ果てた」。
・しかしエレミヤは語らざるを得ない。神がエレミヤに語ることを強いられるからだ。神の目から見て、イスラエルは罪を犯しており、それを悔い改めない限り、救いはない。神はイスラエルを救うために正しき者を探される。預言はそのための試金石だ。一人でも正しい者がいれば神はエルサレムを救われるご意志だ。
−エレミヤ6:6-8「エルサレムに対して攻城の土塁を築け。彼女は罰せられるべき都、その中には抑圧があるのみ。泉の水が湧くように彼女の悪は湧き出る。不法と暴力の叫びが聞こえてくる。病と傷は、常に私の前にある。エルサレムよ、懲らしめを受け入れよ。さもないと、私はお前を見捨て、荒れ果てて人の住まない地とする」。
・しかし誰も預言者の言葉を聞かない。審きが、国の滅亡が不可避になる。外国の軍隊が神の鞭として用いられる。
−エレミヤ6:1「ベニヤミンの人々よ、エルサレムの中から避難せよ。テコアで角笛を吹き鳴らし、ベト・ハケレムに向かってのろしを上げよ。災いと大いなる破壊が北から迫っている」。
・その破壊は人々を徹底的に打ちのめすだろう。痛みなしには悔い改めは起こらないからだ。
−エレミヤ6:11-12「『それを注ぎ出せ、通りにいる幼子、若者の集いに。男も女も、長老も年寄りも必ず捕らえられる。家も畑も妻もすべて他人の手に渡る。この国に住む者に対して私が手を伸ばすからだ』と主は言われる」。
・自分の民を滅ぼす神の痛みがそこにある。神はその民を救いたい、故に繰り返し民に問われる「悔い改めよ、私の道に帰れ」と。しかし民は「帰らない」と答える。
−エレミヤ6:16-17「主はこう言われる『さまざまな道に立って、眺めよ。昔からの道に問いかけてみよ、どれが、幸いに至る道か、と。その道を歩み、魂に安らぎを得よ』。しかし、彼らは言った『そこを歩むことをしない』と。私は『あなたたちのために見張りを立て、耳を澄まして角笛の響きを待て』と言った。しかし、彼らは言った『耳を澄まして待つことはしない』と」。

2.預言者の痛み

・エレミヤの預言は耳に痛く、誰も聞こうとはしない。その時、宮廷預言者や祭司が立ち「平和」を約束する。彼らは神の怒りを軽く見るゆえに、安易に慰めと救いを語る。彼らは罪の問題の根本的な解決をせず、それを先延ばしにするゆえに、その罪は大きい。エレミヤは彼ら偽預言者を激しく糾弾する。
−エレミヤ6:13-15「身分の低い者から高い者に至るまで、皆、利をむさぼり、預言者から祭司に至るまで皆、欺く。彼らは、わが民の破滅を手軽に治療して、平和がないのに、『平和、平和』と言う。彼らは忌むべきことをして恥をさらした。しかも、恥ずかしいとは思わず、嘲られていることに気づかない。それゆえ、人々が倒れるとき、彼らも倒れ、私が彼らを罰するとき彼らはつまずく」。
・救いは高価である。それは神殿での祭儀を盛んにし、犠牲の捧げものを増やしたところで、贖えるものではない。救いは金では買えない。それを理解しない人々は神殿とともに滅びていくであろう。
−エレミヤ6:20-21「『シェバから持って来た乳香や、はるかな国からの香水萱が、私にとって何の意味があろうか。あなたたちの焼き尽くす献げ物を喜ばず、いけにえを私は好まない』。それゆえ、主はこう言われる『見よ、私はこの民につまずきを置く。彼らはそれにつまずく。父も子も共に、隣人も友も皆、滅びる』」。
・神の処罰を処罰として受け止める、それが悔い改めだ。そのためには、痛みを味わうことが必要だ。エレミヤは愛国者として預言の成就=国の滅亡を望まない。しかし預言が成就しない時、人はますますエレミヤの言葉を聞かないだろう。この時、エレミヤが預言したのは北の騎馬民族スクテヤ人の来襲であったが、彼らは来なかった。そのことがエレミヤを苦境に追い込み、彼は預言中断に追い込まれる。預言者が最初に痛みを知る、そこから真の預言が生まれてくる。
−エレミヤ6:22-24「主はこう言われる『見よ、一つの民が北の国から来る。大いなる国が地の果てから奮い立って来る。弓と投げ槍を取り、残酷で、容赦しない。海のとどろくような声をあげ、馬を駆り、戦いに備えて武装している。娘シオンよ、あなたに向かって』。我々はその知らせを聞き、手の力は抜けた。苦しみに捕らえられ、我々は産婦のようにもだえる」。
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