すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  詩編  >  2009年12月30日祈祷会(詩篇28編、主よ沈黙しないで下さい)
1.沈黙する神への嘆願の祈り

・詩編25−28編は沈黙の神に対する嘆願の祈りだ。祈り手は「主が御顔を隠された。それ故に苦難が自分に臨んでいる」と感じている。だから「沈黙しないで下さい」、「祈りを聞いて下さい」と彼は祈る。
−詩編28:1-2「主よ、あなたを呼び求めます。私の岩よ、私に対して沈黙しないでください。あなたが黙しておられるなら、私は墓に下る者とされてしまいます。嘆き祈る私の声を聞いてください。至聖所に向かって手を上げ、あなたに救いを求めて叫びます」。
・祈り手は神殿の中庭にいて、神の臨在の場所である至聖所に向かって祈っている。「あなたが黙しておられるなら、私は墓に下る者とされてしまいます」、祈り手は重い病気により、死に瀕しているのかもしれない。悪人と共に滅ぼさないでほしい、助けてほしいと彼は祈る。
−詩編28:3「神に逆らう者、悪を行う者と共に、私を引いて行かないでください。彼らは仲間に向かって平和を口にしますが、心には悪意を抱いています。その仕業、悪事に応じて彼らに報いてください。その手のなすところに応じて、彼らに報い、罰してください。主の御業、御手の業を彼らは悟ろうとしません。彼らを滅ぼし、再び興さないでください」。
・人は救済を求めて神に叫ぶ。その叫びを神は聞いて下さる。イスラエルはかつてエジプトの奴隷からの救済を叫び、神はそれを聞かれた。それを知る故に彼はあくまでも叫び続ける。信仰とは過去の救いの想起だ。
−出エジプト記2:23-25「それから長い年月がたち、エジプト王は死んだ。その間イスラエルの人々は労働のゆえにうめき、叫んだ。労働のゆえに助けを求める彼らの叫び声は神に届いた。神はその嘆きを聞き、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。神はイスラエルの人々を顧み、御心に留められた」。

2.預言過去

・28編は6節から感謝の言葉に変わっていく。「主は私の願いを聞いて下さった」と祈り手は歌う。
−詩編28:6-7「主をたたえよ。嘆き祈る私の声を聞いてくださいました。主は私の力、私の盾、私の心は主に依り頼みます。主の助けを得て私の心は喜び躍ります。歌をささげて感謝いたします」。
・祈り手を囲む状況は何も変わらない。しかし彼は主が聞いて下さったと確信して、喜びに包まれる。へブル語には「預言過去」という時制がある。未来のことをすでに起こったこととして聞いていく。彼は依然として苦しみの中にあるが、「神が聞いて下さった」ことを直感し、感謝している。彼は人智を超えた神の愛の恵みに触れたのだ。
*東北大学医学部坪野吉孝氏は次のように書く「筆者はかつて多量飲酒者だったが、約10年前、苦しい状況で思わず祈りの言葉を口にしたとき、急に世界が明るく開けて感じる神秘体験をし、以来アルコールをまったく口にしていない。それ以前にも意志の力で酒をやめようと何度か試みたが、2か月と続かなかった。だから自分の意志以外の力が働きかけたとしか思えなかった・・・ジェラルド・メイはその著『依存症と恩寵』の中で『人は依存症の経験を通し、人智を超えた神の愛の恵みに触れることがある』と主張する」(2009年12月29日朝日新聞コラム)。
・自分では解決できない苦境に立たされた時、神を見失った現代人は,他者の助けを求めて走り回るか、絶望して自らの命を絶つしかない。しかし信仰者は苦難の底で神の名を呼ぶことができる。
−マタイ27:45-46「さて、昼の十二時に、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた『エリ、エリ、レマ、サバクタニ』。これは『わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか』という意味である」。
・そしていかなる時も祈りは聞かれる。ただ、祈りの成就に時間が必要な時もあろう。あるいは私たちが望む形ではないかもしれない。しかし、神は必ず私たちの祈りを聞かれる。それは確かだ。
−エレミヤ29:10-12「主はこう言われる。バビロンに七十年の時が満ちたなら、私はあなたたちを顧みる。私は恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す。私は、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来て私に祈り求めるなら、私は聞く」。
・苦しみの渦中に在る者もまた神の御手の中にある。神は救うために一旦滅ぼされるとの信仰がエレミヤにはあった。だからエレミヤはエルサレム滅亡の渦中で、故郷に土地を買う。信仰者はどのような時にも希望を失わない。
−エレミヤ32:16-25「購入証書をネリヤの子バルクに渡したあとで、私は主に祈った「・・・間もなくこの都は剣、飢饉、疫病のゆえに、攻め囲んでいるカルデア人の手に落ちようとしています。あなたの御言葉どおりになっていることは、御覧のとおりです。それにもかかわらず、主なる神よ、あなたは私に、銀で畑を買い、証人を立てよと言われました。この都がカルデア人の手に落ちようとしているこのときにです』」。
プリンタ用画面
友達に伝える
前
2009年12月16日祈祷会(詩篇27編、苦難の中で主を呼び求める)
カテゴリートップ
詩編
次
2010年1月6日祈祷会(詩編29編、自然の中に自己を啓示される神)