すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  エレミヤ書  >  2009年12月24日祈祷会(エレミヤ書5章、イスラエルの限度をわきまえない罪)
1.悲哀の人

・イスラエルが支配者アッシリア衰退の中で、政治的独立を果たし、経済的にも繁栄していた時、エレミヤはその中に他者を顧みず、自己の利益だけを図る罪を見た。彼は「主はイスラエルの罪を罰せられる」と預言した。
−エレミヤ5:26-29「わが民の中には逆らう者がいる・・・罠を仕掛け、人を捕らえる。籠を鳥で満たすように、彼らは欺き取った物で家を満たす。こうして、彼らは強大になり富を蓄える。彼らは太って、色つやもよく、その悪事には限りがない。みなしごの訴えを取り上げず、助けもせず、貧しい者を正しく裁くこともしない。これらのことを、私が罰せずにいられようか、と主は言われる。このような民に対し、私は必ずその悪に報いる」。
・しかし民はエレミヤの言葉を聞かず、うそぶく「主は何もなさらない。飢饉や外国軍の侵略も起こらない」と。
−エレミヤ5:12-13「彼らは主を拒んで言う『主は何もなさらない。我々に災いが臨むはずがない。剣も飢饉も起こりはしない。預言者の言葉はむなしくなる。『このようなことが起こる』と言っても実現はしない」。
・矢内原忠雄はエレミヤを「悲哀の人」と呼んだ。彼は言う「混沌の中にあって真実を見据え、真実を語る人は悲哀の人であります。世間の人は神などあるものかと神を無視してわがまま勝手に行動していました。その中で『神は目を開けておられる』、そのことをエレミヤ一人が見抜いたのです」。
−エレミヤ5:1-3「エルサレムの通りを巡り、よく見て、悟るがよい。広場で尋ねてみよ、一人でもいるか、正義を行い、真実を求める者が。いれば、私はエルサレムを赦そう。『主は生きておられる』と言って誓うからこそ、彼らの誓いは偽りの誓いとなるのだ。主よ、御目は真実を求めておられるではありませんか。彼らを打たれても、彼らは痛みを覚えず、彼らを打ちのめされても、彼らは懲らしめを受け入れず、その顔を岩よりも固くして、立ち帰ることを拒みました」。
・「審きを審きと感じない」、そこに罪がある。情勢は変わり、アッシリアからの独立を掲げたヨシア王はメギトでエジプト軍に敗れて戦死し(前609年)、危機が目に見え始めているのに、人々に危機感はない。
−エレミヤ5:4-5「私は思った『これは身分の低い人々で、彼らは無知なのだ。主の道、神の掟を知らない。身分の高い人々を訪れて語り合ってみよう。彼らなら主の道、神の掟を知っているはずだ』と。だが、彼らも同様に軛を折り、綱を断ち切っていた」。

2.限度を超えたイスラエルの罪

・豊かさはそれを享受する人に感謝をもたらすはずであるのに、逆に人々の欲望を刺激し、彼らは更なる消費、さらなる楽しみを求めた。彼らの欲望は止まることを知らない。
−エレミヤ5:7-8「どうして、このようなお前を赦せようか。お前の子らは、私を捨て、神でもないものによって誓う。私は彼らに十分な食べ物を与えた。すると、彼らは姦淫を犯し、遊女の家に群がって行った。彼らは、情欲に燃える太った馬のように、隣人の妻を慕っていななく」。
・現代社会も同じ構図の中にある。世界経済はアメリカの借入金で支えられた過剰消費で発展し、アメリカの住宅バブルがはじけると、世界経済全体が破綻してしまった。この破綻に私たちは神の手を認めるだろうか。認めない時には、さらなる災いが来るであろう。
−エレミヤ5:15-17「見よ、私は遠くから一つの国を、お前たちの上に襲いかからせる、イスラエルの家よ、と主は言われる。それは絶えることのない国、古くからの国、言葉は理解し難く、その言うことは聞き取れない。その矢筒は、口を開いた墓、彼らは皆、勇士だ。お前たちの収穫も食糧も食い尽くす。更に、息子、娘を食い尽くし、羊や牛を食い尽くし、ぶどうやいちじくを食い尽くす。お前が頼みとする砦の町々を剣を振るって破壊する」。
・18節以下でエレミヤは審判の臨む理由を再度指し示す。海はその定められた境界線を越えないのに、人の悪は際限なく拡大する。「神などいない」、その思いが人を限界を超えた悪に走らせる。
−エレミヤ5:22-24「私は砂浜を海の境とした。これは永遠の定め、それを越えることはできない。波が荒れ狂っても、それを侵しえず、とどろいても、それを越えることはできない。しかし、この民の心はかたくなで、私に背く。彼らは背き続ける。彼らは、心に思うこともしない『我々の主なる神を畏れ敬おう・・・』と」。
・神を失った人間の犯す悪は限度がない。ドストエフスキー「悪霊」の主人公スタブローギンは言う「神がいなければすべてのことはゆるされる」。ルターはいう「最も恐ろしいのは審きのない世界、神が放置される世界だ」。
−ローマ1:28-32「彼らは神を認めようとしなかったので、神は彼らを無価値な思いに渡され、そのため、彼らはしてはならないことをするようになりました・・・彼らは、このようなことを行う者が死に値するという神の定めを知っていながら、自分でそれを行うだけではなく、他人の同じ行為をも是認しています」。
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