すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  詩編  >  2009年12月9日祈祷会(詩篇26編、無実を訴える切実な祈り)
1.故なき告発により窮地にある者の歌

・本詩は言われなき疑いをかけられた詠み手が無実を訴える祈りの詩である。詠み手の言う「主よ、あなたの裁きを求めます」とは、イスラエルの社会において、不当に訴えられた者が自己の無実を主張する典型的な表現だ。
−詩編26:1「主よ、あなたの裁きを望みます。私は完全な道を歩いてきました。主に信頼して、よろめいたことはありません」。
・詠み手は「私のはらわたと心を調べよ」という。原文では「腎臓と心臓」だ。古代人は腎臓に人の思いが、心臓に心が宿ると考えた。「私の思いと心を検分して、私がうそを言っていないか調べてください」と彼は言う。
−詩編26:2「主よ、私を調べ、試み、はらわたと心を火をもって試してください」。
・彼は、自分は間違ったことをしてこなかったと神に訴える。それは自己義認の訴えではなく、人から不当なそしりを受けても、神は真実を知っていてくださるとの思いから出る言葉だ。
−詩編26:3-5「あなたの慈しみは私の目の前にあり、あなたのまことに従って歩き続けています。偽る者と共に座らず、欺く者の仲間に入らず、悪事を謀る者の集いを憎み、主に逆らう者と共に座ることをしません」。
・彼は両手を洗って無実を示し、祭壇をめぐって感謝と賛美をささげることを誓う。彼は神がこの苦境から彼を救い出してくださることを信じている。
−詩編26:6-7「主よ、私は手を洗って潔白を示し、あなたの祭壇を廻り、感謝の歌声を響かせ、驚くべき御業をことごとく語り伝えます」。
・他方、彼は自分の置かれた状況が容易ならざるものであることも知っている。だから無実の罪で罪人の烙印を押されることにないようにしてくださいと、彼は祈る。
−詩編26:9「私の魂を罪ある者の魂と共に、私の命を流血を犯す者の命と共に、取り上げないでください」。
・最後に彼は主を讃える。たとえ人から何と言われようと、主は自分の思いと心を知ってくださる感謝の祈りだ。
−詩編26:11-12「私は完全な道を歩きます。私を憐れみ、贖ってください。私の足はまっすぐな道に立っています。聖歌隊と共に私は主をたたえます」。

2.人は知らなくともあなたは知ってくださる

・詩編には自己を見つめ、その罪の赦しを求める祈りと、本詩のように、自己の無実を主張し、正しい裁きを主に求める詩の双方がある。本詩は一見すると、自己義認を主張する傲慢な詩のようにも思える。しかし他者からのいわれなき嫌疑によって苦境に立たされた時、私たちも自己の潔白を主張する。その主張が人々に認められないときには神に訴えるしかない。本詩は決して自分を正しいとする者の歌ではなく、神の憐れみを求める歌だ。
−イザヤ49:4「私は思った、私はいたずらに骨折り、うつろに、空しく、力を使い果たした、と。しかし、私を裁いてくださるのは主であり、働きに報いてくださるのも私の神である」。
・この世では、いかなる祈りも聞かれることなく、故なき苦難の中で、無惨にも死んでいく人々がいる。そのような時人は問う「神はどこにおられるのか」。信仰者は答える「神は苦しむ者と共におられる」と。エリ・ヴィーゼルはユダヤ人のゆえにアウシュビッツ強制収容所に収監されたときの体験を述べる。
−エリ・ヴィーゼル「夜」:「ある日、3人が処刑された。二人の大人ともう一人は子供だった。収容所長の合図で三つの椅子が倒され、二人の大人はすぐに息絶えたが、子供は軽くて臨終の苦しみを続けた。それを見ていた人たちの誰かが叫ぶ『一体、神はどこにおられるのだ』。その時ヴィーゼルは、心のなかで、ある声が男に答えているのを感じた『どこだって。ここにおられる、ここに、この絞首台に吊るされておられる』」。
・私たちの信じる神は「共に苦しまれる神」だ。イエスは二人の罪人と共に十字架につけられた時、「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのか」と叫んで死んでいかれた。この神が私たちの信じる神だ。
−マタイ27:46「三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた『エリ、エリ、レマ、サバクタニ』。これは『わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか』という意味である」。
・この神を信じる時、私たちは苦難から立ち上がる勇気をいただく。
−宗教改革者マルチィン・ルターは1517年ヴィテンベルグの城門に97箇条の公開質問状を貼り、堕落した当時のカトリックに対して宗教改革の旗を上げた。その結果、彼は破門され、命を狙われ、その圧力の前に意気消沈していた。ある時、ルターが部屋に入ったら、妻が喪服を着て彼を迎えた。ルターは尋ねる「一体誰が亡くなったのか」。妻は答える「あなたの神が亡くなりました。あなたは“主は生きておられる”事を忘れ、希望をなくしている。あなたの神は死んだのです」。妻の言葉によってルターは信仰の目が開かれ、「私の神は生きておられる」と確信をもって、再び戦いの場に出て行った。
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