すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  詩編  >  2009年11月25日祈祷会(詩篇24編、地とそこに満つるものは主のもの)
1.主を迎える典礼歌

・詩編24編は新年祭等において主を神殿に迎え入れる典礼歌であろう。神殿の至聖所には神の臨在の象徴である「契約の箱(モーセの十戒を記した石版を入れた)」が置かれ、その存在こそが主が共におられる象徴であった。
−詩編24:7-8「城門よ、頭を上げよ、とこしえの門よ、身を起こせ。栄光に輝く王が来られる。栄光に輝く王とは誰か。強く雄々しい主、雄々しく戦われる主」。
・詩は神の世界創造の讃美から始まる。創世記は、地は混沌(形なく、むなしく、闇が覆っていた)としていたが、その闇を主の言葉による光が貫き、天地が創造されたと記す(創世記1:1-3)。混沌(カオス)が秩序(コスモス)に変わる。それが神の創造の業だと詩人は歌う。
-詩編24:1-2「地とそこに満ちるもの、世界とそこに住むものは、主のもの。主は、大海の上に地の基を置き、潮の流れの上に世界を築かれた」。
・闇の中に光を見出す、混沌の中に秩序を見出す、その喜びと感謝が人を礼拝に導く。しかし誰でも神の聖所に入れるわけではない。3-5節はエルサレム神殿に集まってきた巡礼者と祭司が、門の外側と内側で神殿入場資格を問う交唱歌であろう(詩編15編も同じような交唱歌である)。
−詩編24:3-4「どのような人が、主の山に上り、聖所に立つことができるのか。それは、潔白な手と清い心をもつ人。むなしいものに魂を奪われることなく、欺くものによって誓うことをしない人」。
・主の山(エルサレム・シオンの丘に立つ神殿)に入ることの出来るものは、「潔白な手と清い心をもつ人」と言われる。しかし誰がその資格を持つのか、誰が自分は「潔白な手と清い心を持つ」と言いうるのか。パウロは「人は全て罪人であり、正しいものは一人もいない」と言った。誰も神殿に入る資格はない。
-ローマ3:10-18「正しい者はいない。一人もいない。悟る者もなく、神を探し求める者もいない・・・彼らののどは開いた墓のようであり、彼らは舌で人を欺き、その唇には蝮の毒がある。口は、呪いと苦味で満ち、足は血を流すのに速く、その道には破壊と悲惨がある。彼らは平和の道を知らない。彼らの目には神への畏れがない」。
・しかし詩人は歌う「主を求める人を神は迎え入れてくださる」と。罪人も求めれば受け入れてくださる。
-詩編24:5-6「主はそのような人を祝福し、救いの神は恵みをお与えになる。それは主を求める人、ヤコブの神よ、御顔を尋ね求める人」。

2.神殿とは、礼拝とは何か

・7節以下は主が神殿に共にいて下さる、そのことを喜ぶ歌だ。7-8節と9-10節は同じ言葉が繰り返される。この歌はやがて主イエスの到来を待つアドベントの歌になった(新生讃美歌256番「高く戸を開けよ」)。
-詩編24:7-10「城門よ、頭を上げよ、とこしえの門よ、身を起こせ。栄光に輝く王が来られる。栄光に輝く王とは誰か。強く雄々しい主、雄々しく戦われる主。城門よ、頭を上げよ、とこしえの門よ、身を起こせ。栄光に輝く王が来られる。栄光に輝く王とは誰か。万軍の主、主こそ栄光に輝く王」。
・ダビデがエルサレムを王国の首都として契約の箱を運び入れ、ソロモンが神殿を建て、そこに契約の箱を安置した。契約の箱が神殿にある、神が臨在されるから自分たちは安心だという祭司や民衆に対して、預言者たちは厳しい批判を浴びせる。神殿祭儀さえ行えば救われる、主を礼拝するとはそのようなことではないと。
-イザヤ1:11-17「お前たちのささげる多くのいけにえが私にとって何になろうか・・・私の顔を仰ぎ見に来るが、誰がお前たちにこれらのものを求めたか、私の庭を踏み荒らす者よ・・・お前たちの血にまみれた手を、洗って、清くせよ・・・搾取する者を懲らし、孤児の権利を守り、やもめの訴えを弁護せよ」。
・預言者たちは神殿を糾弾し、来るべき主の日には神殿は崩壊するであろうと預言した。
-エレミヤ7:11-12「私の名によって呼ばれるこの神殿は、お前たちの目に強盗の巣窟と見えるのか。そのとおり。私にもそう見える、と主は言われる。シロの私の聖所に行ってみよ。かつて私はそこに私の名を置いたが、わが民イスラエルの悪のゆえに、私がそれをどのようにしたかを見るがよい」。
・預言者の神殿批判はイエスにも継承され、イエスもまた神殿崩壊を預言される。
-マルコ13:2「イエスは言われた『これらの大きな建物を見ているのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない』」。
・イエスの教えを受けたパウロは聖霊を宿す信仰者の体こそ、神の神殿だと宣言する。私たちも、教会とは目に見える会堂ではないことを銘記する必要があろう。
-汽灰螢鵐3:16-17「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか・・・あなたがたはその神殿なのです」。
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