すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.希望の見えない闇の中で

・イザヤ64章は63章から続く長い詩の後編だ。前半で預言者は「何故沈黙されるのか、私たちはあなたの子ではないか、何故救ってくださらないのか」と訴える。捕囚帰還後の苦しい生活が背景にある。
-イザヤ63:15-19「どこにあるのですか、あなたの熱情と力強い御業は。あなたのたぎる思いと憐れみは、抑えられていて、私に示されません。あなたは私たちの父です・・・立ち帰ってください、あなたの僕たちのために、あなたの嗣業である部族のために。あなたの聖なる民が継ぐべき土地を持ったのはわずかの間です。間もなく敵はあなたの聖所を踏みにじりました。あなたの統治を受けられなくなってから、あなたの御名で呼ばれない者となってから、私たちは久しい時を過ごしています。どうか、天を裂いて降ってください。御前に山々が揺れ動くように」。
・神の沈黙ほど信仰者にとって恐ろしいものはない。彼の全存在が否定される。詩篇にも多くの訴えがある。
-詩篇89:47-52「いつまで、主よ、隠れておられるのですか。御怒りは永遠に火と燃え続けるのですか・・・主よ、御心に留めてください、あなたの僕が辱めを受けていることを、これら強大な民を私が胸に耐えていることを。彼らは、主よ、あなたの敵であり、彼らは辱めるのです。彼らはあなたの油注がれた者を追って、辱めるのです」。
・「どうか、天を裂いて降ってください。あなたの御業を見せてください」と預言者は祈る。
-イザヤ64:1-2「柴が火に燃えれば、湯が煮えたつように、あなたの御名が敵に示されれば、国々は御前に震える。期待もしなかった恐るべき業と共に降られれば、あなたの御前に山々は揺れ動く」。
・イエスの時代も多くの人がメシアを待ち望んだ。ローマの植民地支配に苦しんでいたからだ。メシア待望は救いの待望だ。紀元66年にユダヤがローマに植民地解放戦争を行ったのも、メシアが来られると期待したからだ。
-2003年3月9日説教から「イエスの時代、多くのメシアと称する者が立ち、ローマに抵抗を試みた。紀元66年熱心党がローマに対する武力蜂起を行い、人々を誘った『武器を持ってローマを制圧し、エルサレム神殿を全世界の中心となし、イスラエルに世界支配を許す神の奇跡に信頼しよう。その時、天からマナが降るであろう』。イスラエル全土は熱狂し、独立を目指すユダヤ戦争が始まる。一時はエルサレムからローマ軍を追放し、独立政府を作るが、結局はローマに制圧され、紀元70年にエルサレムは破壊され、神殿も燃えて、国は滅びた」。

2.あまりにも激しい信仰

・預言者も直接救済を希求する。しかし彼は自分たちの罪の故に、神が沈黙しておられることを知っている。
-イザヤ64:5-6「私たちは皆、汚れた者となり、正しい業もすべて汚れた着物のようになった。私たちは皆、枯れ葉のようになり、私たちの悪は風のように私たちを運び去った。あなたの御名を呼ぶ者はなくなり、奮い立ってあなたにすがろうとする者もない。あなたは私たちから御顔を隠し、私たちの悪のゆえに、力を奪われた」。
・それにもかかわらず彼は救いを求める。「私たちは罪を犯した。あなたから糾弾されても仕方がない。それでも主よ、私たちを救ってください。あなたが私たちを造られた故に」と。
-イザヤ64:7-8「しかし、主よ、あなたは我らの父。私たちは粘土、あなたは陶工、私たちは皆、あなたの御手の業。どうか主が、激しく怒られることなく、いつまでも悪に心を留められることなく、あなたの民である私たちすべてに目を留めてくださるように」。
・同じ主題を扱う絵本にマックス・ルケード「たいせつなきみ」がある。木で作られたパンチネロと製作者エリの物語だ。イザヤもまた、神は私たちを造った故に、私たちを捨てられないと告白する。
-イザヤ46:3-4「私に聞け、ヤコブの家よ、イスラエルの家の残りの者よ、共に。あなたたちは生まれた時から負われ、胎を出た時から担われてきた。同じように、私はあなたたちの老いる日まで、白髪になるまで、背負って行こう。私はあなたたちを造った。私が担い、背負い、救い出す」。
・この信仰を無くしたとき、人は絶望して死ぬ。現代でも老老介護から悲惨な事件が起きている。イザヤはエルサレム崩壊から何十年も立ったのにいまだに瓦礫の山であるエルサレムを見てもくじけずに求め続ける。
-イザヤ64:9-11「あなたの聖なる町々は荒れ野となった。シオンは荒れ野となり、エルサレムは荒廃し、私たちの輝き、私たちの聖所、先祖があなたを賛美した所は、火に焼かれ、私たちの慕うものは廃虚となった。それでもなお、主よ、あなたは御自分を抑え、黙して、私たちを苦しめられるのですか」。
・信仰ゆえにしつこく求め続けよ。決してあきらめるな、イザヤやヨブの体験は私たちにそう伝える。
-ヨブ記42:5-6「あなたのことを、耳にしてはおりました。しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。それゆえ、私は塵と灰の上に伏し、自分を退け、悔い改めます」。
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