すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  イザヤ書  >  2009年10月8日祈祷会(イザヤ62章、神は決してあなたを捨てられない)
1.絶望の中で希望を語る預言者

・バビロンにいた捕囚民は荒廃した土地への帰還を引き受け、国の再建作業に着手した。しかし神殿再建は異邦人の妨害や飢餓等により頓挫し、経済生活は改善しなかった。「主は私たちを見捨てられたのではないか」との疑念が彼らの間に起こった。救いを待つ間は希望がある。しかし救いが来ない、自分は見捨てられたと思った時、人は絶望する。
-イザヤ64:9-11「あなたの聖なる町々は荒れ野となった。シオンは荒れ野となり、エルサレムは荒廃し、私たちの輝き、私たちの聖所、先祖があなたを賛美した所は、火に焼かれ、私たちの慕うものは廃虚となった。それでもなお、主よ、あなたは御自分を抑え、黙して、私たちを苦しめられるのですか」。
・「自分たちは捨てられた」という民に、預言者は「主がエルサレムを回復して下さるまで、私は沈黙しない」と約束する。
-イザヤ62:1-2「シオンのために、私は決して口を閉ざさず、エルサレムのために、私は決して黙さない。彼女の正しさが光と輝き出で、彼女の救いが松明のように燃え上がるまで。諸国の民はあなたの正しさを見、王はすべて、あなたの栄光を仰ぐ。主の口が定めた新しい名をもって、あなたは呼ばれるであろう」。
・「主はその訴えを聞いてくださり、あなたがたを新しい名で呼ばれる時が来る」。「一旦捨てられたエルサレムは再び夫を与えられ、花婿が花嫁を喜びとするように、神があなた(エルサレム)を喜びとされる時が再び来る」と預言者は断言する。
-イザヤ62:3-5「あなたは主の御手の中で輝かしい冠となり、あなたの神の御手の中で王冠となる。あなたは再び『捨てられた女』と呼ばれることなく、あなたの土地は再び『荒廃』と呼ばれることはない。あなたは『望まれるもの』と呼ばれ、あなたの土地は「夫を持つもの」と呼ばれる。主があなたを望まれ、あなたの土地は夫を得るからである。若者がおとめをめとるように、あなたを再建される方があなたをめとり、花婿が花嫁を喜びとするように、あなたの神はあなたを喜びとされる」。
・同じ頃、預言者ゼカリヤは叫んだ「いつまでエルサレムとユダの町々を憐れんでくださらないのですか。あなたの怒りは七十年も続いています」(ゼカリヤ1:12)。第三イザヤもまた叫ぶ「あなたがこの都を回復してくださらない限り、私は黙りません」と。預言者の叫びは民ではなく神に向けられている。
-イザヤ62:6-7「エルサレムよ、あなたの城壁の上に、わたしは見張りを置く。昼も夜も決して黙してはならない。主に思い起こしていただく役目の者よ、決して沈黙してはならない。また、主の沈黙を招いてはならない。主が再建に取りかかり、エルサレムを全地の栄誉としてくださるまでは」。

2.信仰とは叫びだ

・このイザヤの叫びに応じて主は幻を見せてくださる「もう敵が侵略して私たちの穀物を奪い取ることはない。私たちの造ったぶどう酒を侵略者たちが飲むこともない」と。私たちは豊かな実りを楽しむことが出来るようになる。
-イザヤ62:8-9「主は、御自分の右の手にかけて、力ある御腕にかけて、誓われた。私は再びあなたの穀物を敵の食物とはさせず、あなたの労苦による新しい酒を、異邦人に飲ませることも決してない。穀物を刈り入れた者はそれを食べて、主を賛美し、ぶどうを取り入れた者は聖所の庭でそれを飲む」。
・エルサレムの城壁は破れ、城門は朽ち果てている。さあみんなで修復しよう。障害になっている石を取り除き、土を盛り上げて、城門に続く大路を築け。まだシオンに戻らず諸国をさまよっている同胞ユダヤ人を迎えるために。
-イザヤ62:10「城門を通れ、通れ、民の道を開け。盛り上げよ、土を盛り上げて広い道を備え、石を取り除け。諸国の民に向かって旗を掲げよ」。
・ディアスポラの同胞が諸国から帰ってくる時、あなた方は「聖なる民、主に贖われた者、尋ね求められる女、捨てられることのない都」と呼ばれると預言者は高らかに歌い上げる。
-イザヤ62:11-12「見よ、主は地の果てにまで布告される。娘シオンに言え。見よ、あなたの救いが進んで来る。見よ、主のかち得られたものは御もとに従い、主の働きの実りは御前を進む。彼らは聖なる民、主に贖われた者、と呼ばれ、あなたは尋ね求められる女、捨てられることのない都と呼ばれる」。
・人が道に迷ったり、捕らえられた時、彼は救いを求めるが、救いが来ないことが明らかになった時、人は絶望する。その絶望から彼らを立ち上がらせる信仰こそ「インマムエル」の信仰である。「どのような状況の中にあっても主は耳を傾けてくださる、共にいてくださる」、それを信じる時に状況も変わり始める。
-イザヤ49:4-6「私は思った。私はいたずらに骨折り、うつろに、空しく、力を使い果たした、と。しかし、私を裁いてくださるのは主であり、働きに報いてくださるのも私の神である。主の御目に私は重んじられている。私の神こそ、私の力。今や、主は言われる・・・私はあなたを僕としてヤコブの諸部族を立ち上がらせ、イスラエルの残りの者を連れ帰らせる。だがそれにもまして私はあなたを国々の光とし、私の救いを地の果てまで、もたらす者とする」。
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