すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  イザヤ書  >  2009年9月24日祈祷会(イザヤ60章、暗闇の中での希望の使信)
1.暗き闇の中で預言する第三イザヤ

・「救いが来ない、約束が違う」とつぶやく帰国民に、第三イザヤは、「救いを妨げるものは、あなた方の罪と悪だ」(59・1-2)と述べる。そして「正義の行なわれていないことを見られた」主は、「贖う者として、シオンに来られる」(59:20)と歌う。それを具体的に描くのが、イザヤ60章の預言だ。
-イザヤ60:1-2「起きよ、光を放て。あなたを照らす光は昇り、主の栄光はあなたの上に輝く。見よ、闇は地を覆い、暗黒が国々を包んでいる。しかし、あなたの上には主が輝き出で、主の栄光があなたの上に現れる」。
・神殿工事の中断で人々は挫折と幻滅に追い込まれたが、第三イザヤは、主の来臨による神の国建設を歌う。「闇の中に光が差し込む」、第一イザヤが夢見た、失われた領土回復の歌を、第三イザヤが再び歌い始める(参照マタイ4:12-17)。
-イザヤ8:23-9:1「先にゼブルンの地、ナフタリの地は辱めを受けたが、後には海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは、栄光を受ける。闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた」。
・主の栄光がエルサレムに輝き、バビロンに残留していた人々も、諸国に散らされていた民も、今エルサレムに集められるとイザヤは預言する。
-イザヤ60:3-5「国々はあなたを照らす光に向かい、王たちは射し出でるその輝きに向かって歩む。目を上げて、見渡すがよい。みな集い、あなたのもとに来る。息子たちは遠くから、娘たちは抱かれて、進んで来る。そのとき、あなたは畏れつつも喜びに輝き、おののきつつも心は晴れやかになる。海からの宝があなたに送られ、国々の富はあなたのもとに集まる」。
・帰国の民は世界中から黄金や乳香、家畜を連れ戻り、それらは全て主の祭壇に供えられる。
-イザヤ60:6-7「らくだの大群、ミディアンとエファの若いらくだが、あなたのもとに押し寄せる。シェバの人々は黄金と乳香を携えて来る。こうして、主の栄誉が宣べ伝えられる。ケダルの羊の群れはすべて集められ、ネバヨトの雄羊もあなたに用いられ、私の祭壇にささげられ、受け入れられる。私はわが家の輝きに、輝きを加える」。
・海路からは海沿いの国々の船隊がイスラエルを目指し、離散の民と金銀を満載して集うだろうと預言される。
-イザヤ60:8-9「これらは誰か。雲のように飛び、巣に帰る鳩のように速い。それは島々が私に向けて送るもの、タルシシュの船を先頭に、金銀をもたせ、あなたの子らを遠くから運んで来る。あなたの神、主の御名のため、あなたに輝きを与える」。

2.闇の中に光を見ていく預言者〜希望の継承

・エルサレムに戻ったのは散らされた民のほんの一部であり、資材不足で神殿建築は中断に追い込まれた。その現実の中で、預言者は主が必要なものは与えて下さると黙示する。預言者は言葉を続ける「エルサレムの城壁は異邦人により破壊されたが、その異邦人の子孫たちが城壁を築くために集められ、レバノンの木材が神殿建築のために運び込まれる」と。
-イザヤ60:10-13「異邦の人々があなたの城壁を築き、その王たちはあなたに仕える・・・あなたの城門は常に開かれていて、昼も夜も閉ざされることはなく、国々の富があなたのもとにもたらされ・・・ レバノンの栄光は、糸杉、樅、つげの木と共にあなたのもとに来て、私の聖所を輝かせる。私は私の足を置く場所に栄光を与える」。
・同じ頃、預言者ハガイも神殿建設に必要なものは主が与えて下さるから安心して工事を再開せよと呼びかける(ハガイ2:6-7)。そして神殿が造られ、城壁が完成した暁には、あなたの地が再び異邦人に侵略され、破壊されることはない。城壁は「救い」と、城門は「栄誉」と呼ばれるだろうとイザヤは預言する。
-イザヤ60:18「あなたの地は再び不法を耳にすることなく、破壊と崩壊は領土のうちから絶える。あなたの城壁は「救い」と、城門は「栄誉」と呼ばれる」。
・主が来られたゆえにもはや太陽も月もいらなくなる。主があなた方の光となられるからだとイザヤは預言する。
-イザヤ60:19-20「太陽は再びあなたの昼を照らす光とならず、月の輝きがあなたを照らすこともない。主があなたのとこしえの光となりあなたの神があなたの輝きとなられる・・・主があなたの永遠の光となり、あなたの嘆きの日々は終わる」。
・イザヤの預言は実現しなかった。イスラエルはその後もギリシャ、ローマの外国勢力に占領され、紀元70年にエルサレムは再度廃墟とさせられる。しかしその廃墟の中でヨハネはイザヤ60章を継承して、新しいエルサレム(神の国)を夢想する。
-ヨハネ黙示録21:22-26「私は、都の中に神殿を見なかった。全能者である神、主と小羊とが都の神殿だからである。この都には、それを照らす太陽も月も、必要でない。神の栄光が都を照らしており、小羊が都の明かりだからである。諸国の民は、都の光の中を歩き、地上の王たちは、自分たちの栄光を携えて、都に来る。都の門は、一日中決して閉ざされない。そこには夜がないからである。人々は、諸国の民の栄光と誉れとを携えて都に来る」。
・信仰者は闇の中にも光を見出していく。イザヤの預言はやがてクリスマスの光の中で読み直されていく。彼の預言は歴史の中で実現しなくとも、その信仰は後代に継承され、信仰の言葉は現代も生き続けている。そこに希望がある。
ヨハネ1:4-9「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった・・・その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである」。
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