すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  詩編  >  2009年9月16日祈祷会(詩篇16編、主こそわが救い、わが嗣業)
1.主への信頼を歌う

・この詩篇の作者は神殿に仕えるレビ人(祭司)と思われる。イスラエルが約束の地に入った時、12部族はそれぞれの領地を割り当てられた(嗣業の地として与えられた)が、神殿に仕えるレビ人だけは「主を嗣業とせよ」として領地割り当てを受けなかった。祈り手は「私の嗣業は主、主こそ私の割り当て地」と讃美する。
-詩篇16:5-6「主は私に与えられた分、私の杯。主は私の運命を支える方。測り縄は麗しい地を示し、私は輝かしい嗣業を受けました」。
・主を嗣業とする、具体的には各部族が収穫の十分の一を神殿に捧げ、レビ人はそれを食せよと言われた。この考え方が現在の牧師の生き方にもなっている。牧師は基本的には教会の献金で生活するように求められている。
-民数記18:20-21「あなたはイスラエルの人々の土地のうちに嗣業の土地を持ってはならない・・・私がイスラエルの人々の中であなたの受けるべき割り当てであり、嗣業である。見よ、私はイスラエルで捧げられる全ての十分の一をレビの子らの嗣業として与える。これは、彼らが臨在の幕屋の作業をする報酬である」。
・小国イスラエルは政治的にはアッシリアやバビロニアの勢力圏に置かれ、民の指導者(この地の聖なる人々、私の愛する尊い人々)たちは強い者に惹かれて異国の地の神々を礼拝する。その中で詩人は「主の他に神はない」として、人身御供(血を注ぐことで贖いと救いを得ようとした)を行う異教礼拝を拒否する。
-詩篇16:2-4「主に申します『あなたは私の主。あなたのほかに私の幸いはありません』。この地の聖なる人々、私の愛する尊い人々に申します。『ほかの神の後を追う者には苦しみが加わる。私は血を注ぐ彼らの祭りを行わず、彼らの神の名を唇に上らせません』」。
・旧約における神との関係は契約 (双務関係)だ。人が神の戒めを守り正しく歩めば祝福が臨むが、神の道からはずれ異教礼拝に走る時、それは呪いに転ずる。だから祈り手は言う「他の神の後を追う者には苦しみが加わる」と。
-申命記30:15-18「見よ、私は今日、命と幸い、死と災いをあなたの前に置く。私が今日命じるとおり、あなたの神、主を愛し、その道に従って歩み、その戒めと掟と法を守るならば、あなたは命を得、かつ増える・・・もしあなたが心変わりして聞き従わず、惑わされて他の神々にひれ伏し仕えるならば・・・あなたたちは必ず滅びる」。
・この詩の中心的思想は、「神の前に、神と共に歩む時、人は喜びと平安に満たされる」との信仰である。
-詩篇16:7-9「主は私の思いを励まし、私の心を夜ごと諭してくださいます。私は絶えず主に相対しています。主は右にいまし、私は揺らぐことがありません。私の心は喜び、魂は躍ります。からだは安心して憩います」。

2.初代教会はこの詩を復活の預言として聞いた

・16:10-11は現在神との命の交わりにある故に、死後も神と共にあるとの信仰を告白する。彼はいかなる形で死から救われるかは知らない、しかしあなたは「命の道=死からの救いの道を教えてくださいます」と確信する。
-詩篇16:10-11「あなたは私の魂を陰府に渡すことなく、あなたの慈しみに生きる者に墓穴を見させず、命の道を教えてくださいます。私は御顔を仰いで満ち足り、喜び祝い、右の御手から永遠の喜びをいただきます」。
・陰府とは死者が行く所、しかし信仰者は陰府に行ってもまた戻される。新約の使徒たちはこの言葉の中にイエス・キリストの復活が預言されていると理解した。使徒2章はペテロの、13章はパウロの説教の一節だ。
-使徒2:30-32「ダビデは預言者だったので、彼から生まれる子孫の一人をその王座に着かせると、神がはっきり誓ってくださったことを知っていました。そして、キリストの復活について前もって知り、『彼は陰府に捨てておかれず、その体は朽ち果てることがない』と語りました。神はこのイエスを復活させられたのです」。
-使徒13:34-37「イエスを死者の中から復活させ、もはや朽ち果てることがないようになさったことについては・・・『あなたの聖なる者を朽ち果てるままにしてはおかれない』と言われています。ダビデは・・・眠りについて、祖先の列に加えられ、朽ち果てました。しかし、神が復活させたこの方は、朽ち果てることがなかったのです」。
・詩篇16:10-11は直接的には「キリスト復活」を預言したものではない。ただ復活と同じ思想が、「神は死人をも生かす力をお持ちだ」との信仰がある。キリスト復活の根拠は神こそが命を支配する方だとの信仰にある。
-ローマ8:11「もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう」。
・「祈る自分が今神の手に守られている」という確信があれば、人生は十分だ。かつて守って下さった主は今も共におられ、将来もいて下さると希望する。その時、他の神々(金銭神、権力神、家族神等々)の保護も不要になる。
-競灰螢鵐1:10「神は、これほど大きな死の危険から私たちを救ってくださったし、また救ってくださることでしょう。これからも救ってくださるにちがいないと、私たちは神に希望をかけています」。
プリンタ用画面
友達に伝える
前
2009年9月9日祈祷会(詩篇15編、誰が主の前に立つことが出来るのか)
カテゴリートップ
詩編
次
2009年9月23日祈祷会(詩篇17編、み翼の陰に)