すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  詩編  >  2009年9月2日祈祷会(詩篇14編、善を行う者はいない)
1.善を行う者はいない

・詩篇14編は詩篇53編とほぼ同じ内容だ。違いは14編が主(ヤハウェ)、53篇が神(エロヒーム)と言う言葉を用いるだけだ。詩篇編集の過程で、同じ詩が別々のところに置かれたものと思われる。
・主題は神を見失った人間の腐敗と堕落だ。人々は神の戒めに反する行為をしても天罰が下るわけではなく、災いが来るのでもなく、思いのままに行為する時に自分の懐に富が蓄積されることに気づいて言う「神などいない」と。
-詩篇14:1「神を知らぬ者は心に言う『神などない』と。人々は腐敗している。忌むべき行いをする。善を行う者はいない」。
・「神を知らぬ者」は愚か者(ナバール)と呼ばれる。ここにあるのは神の存在を否定する無神論ではなく、神は自分たちの行為に関与されないという楽観論だ。裁きなどないと考える時、人の欲と悪のブレーキは利かなくなる。
-詩篇14:2-3「主は天から人の子らを見渡し、探される。目覚めた人、神を求める人はいないか、と。だれもかれも背き去った。皆ともに、汚れている。善を行う者はいない。ひとりもいない」。
・人は幸福を求めて生きるが、その幸福が自己の欲望充足と錯覚する時、社会は欲のぶつかり合う戦場となり、強者は弱者を食い物にし、人々の理性はゆがみ、良心は麻痺する。預言者が告発するとおりだ。
-ミカ3:3「彼らはわが民の肉を食らい、皮をはぎ取り、骨を解体して、鍋の中身のように釜の中の肉のように砕く」。
・パウロも神なき人間は悪にならざるを得ないことを知り、救いを求めてもだえ苦しんだ。
-ローマ3:10-12「次のように書いてあるとおりです『正しい者はいない。一人もいない。悟る者もなく、神を探し求める者もいない。皆迷い、だれもかれも役に立たない者となった。善を行う者はいない。ただの一人もいない』」。
・現代の無神論「神とは人間の想像と期待が生み出した虚構に過ぎない」(フォイエルバッハ)は、もっと虚無的で危険だ。古代の神無視は悔い改めの余地があるが、現代の無神論は人を虚無に導く毒薬だ。

2.しかし主は悪を放置されない

・しかしそれが人間本来の姿ではない。己の欲望を満たすために悪を行う者たちも神がおられることは知っている。しかし裁きがない故に神を無視する。しかし神は悪を放置されることはないと詠み手は訴える。
-詩篇14:4-5「悪を行う者は知っているはずではないか。パンを食らうかのように私の民を食らい、主を呼び求めることをしない者よ。そのゆえにこそ、大いに恐れるがよい。神は従う人々の群れにいます」。
・「神は弱者の側に立たれる。最後の審判の時、それが明らかにされる」と言われたのはイエスだ。神などいないとして放縦な生活を送る者よ、あなたの悪はいつまでも続かない。何故ならばあなたは死ぬからだ。
-ルカ12:16-21「ある金持ちの畑が豊作だった。金持ちは『どうしよう。作物をしまっておく場所がない』と思い巡らしたが、やがて言った『倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、こう自分に言ってやるのだ。「さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と』。しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ」。
・貧しい人が貪られ、泣く時に、その涙を主は知ってくださると詩人は言う。だから希望を持てと。
-詩篇14:6「貧しい人の計らいをお前たちが挫折させても、主は必ず、避けどころとなってくださる」。
・神が最終の審判者であることを知る者は、それを無視する者とは生き方が異なってくる。イエスがマタイ25章で言われることはそういうことだ。
-マタイ25:40-45「はっきり言っておく。私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、私にしてくれたことなのである。・・・はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、私にしてくれなかったことなのである」。
・「善を行う者は一人もいない。人が心に思うことは幼い時から悪いことだ。しかしその故にあなたを滅ぼすことはもうしない」と主は洪水後にノアに言われた(創世記8:21)。私たちは神の許容のもとに生きている。
-詩篇14:7「どうか、イスラエルの救いがシオンから起こるように。主が御自分の民、捕われ人を連れ帰られる時、ヤコブは喜び躍り、イスラエルは喜び祝うであろう」。
・弱肉強食、自然淘汰の現代社会にあって、「共に生きる」生活を私たちは目指す。なぜならば神が共にいて下さると信じるゆえだ。ポール・サイモンは明日に架ける橋でそう歌い、人々は「アーメン」と唱和した。
-明日に架ける橋「あなたが疲れてどうしようも無くなった時、涙があふれて止まらない時、私がその涙をぬぐおう。私はあなたの側にいる。つらい時、友があなたを見捨てて誰もいなくなった時、私は自分の身を投げて、この荒海の上に橋を架けよう」
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