すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  イザヤ書  >  2009年8月20日祈祷会(イザヤ55章、人の思いを超える神の業)
1.第二イザヤの最後の歌

・イザヤ55章は第二イザヤ(40〜55章)の最後の歌だ。1-2節では帰国する民に穀物やぶどう酒が豊かに与えられることが約束される。荒廃した故国に帰る民の心配は、帰国後「食べることが出来るか」であった。
-イザヤ55:1「渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい。銀を持たない者も来るがよい。穀物を求めて、食べよ。来て、銀を払うことなく穀物を求め、価を払うことなく、ぶどう酒と乳を得よ」。
・食の豊かさは祝福の証しである。人はパンなしに肉の命を保つことが出来ない。そのパンは与えられると預言者は言う。「渇いている者は来るが良い」とイエスが言われたのも、必要なものを与えて下さる父への信仰にある。
-ヨハネ7:37-38「祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた『渇いている人はだれでも、私のところに来て飲みなさい。私を信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる』」。
・同時にそれは現在持っているものを捨てられない故に、バビロンに留まろうとする者への招きでもあった。人々は地上の幸福のために日夜労しているが、「パン」が与えられただけでは満たされない。それに気づけと預言者は言う。
-イザヤ55:2「なぜ、糧にならぬもののために銀を量って払い、飢えを満たさぬもののために労するのか。私に聞き従えば良いものを食べることができる。あなたたちの魂はその豊かさを楽しむであろう」。
・主はバビロンの捕囚民に語られる「あなたがたは再び神の民、諸国民のへの証し人として立てられる」。一度は滅びた民族が再び国を形成すると言う、これまでの歴史上なかった出来事が今起ころうとしているのだ。
-イザヤ55:3-5「耳を傾けて聞き、私のもとに来るがよい。聞き従って、魂に命を得よ。私はあなたたちと、とこしえの契約を結ぶ。ダビデに約束した真実の慈しみのゆえに。見よ、かつて私は彼を立てて諸国民への証人とし、諸国民の指導者、統治者とした。今、あなたは知らなかった国に呼びかける。あなたを知らなかった国は、あなたのもとに馳せ参じるであろう。あなたの神である主、あなたに輝きを与えられる、イスラエルの聖なる神のゆえに」。
・預言者は捕囚からの解放が為され、神の民の契約更新が為される今こそ、イスラエルの民が再び神と出会うその時だという。神に逆らい、悪を行って、今また祖国帰還を拒否しようと者たちへの切々たる呼びかけの声だ。
-イザヤ55:6-7「主を尋ね求めよ、見いだしうるときに。呼び求めよ、近くにいますうちに。神に逆らう者はその道を離れ、悪を行う者はそのたくらみを捨てよ。主に立ち帰るならば、主は憐れんでくださる。私たちの神に立ち帰るならば豊かに赦してくださる」。

2.呪いから祝福へ

・イスラエルはバビロニアに国を滅ぼされ、一部の人たちは捕囚として異国の地に連行された。誰もがそれは民族の終わりと考えたが、主は今その捕囚民を用いて新しい国を造ろうとされている。もし捕囚がなければイスラエルは永遠に滅んだであろう。神の業は人の思いをはるかに超える。
-イザヤ55:8-9「私の思いは、あなたたちの思いと異なり、私の道はあなたたちの道と異なると主は言われる。天が地を高く超えているように、私の道はあなたたちの道を、私の思いはあなたたちの思いを、高く超えている」。
・第二イザヤは主から言葉を預かり、捕囚民に帰国を呼びかけた。そのためバビロニア当局から謀反として捕らえられ、処刑された。その第二イザヤに励まされて人々は帰国準備をする。処刑されて死んだ預言者の贖罪によって今、国が建てられる。まさに神の言葉は「望むことを成し遂げ、使命を果たした」のだ。
-イザヤ55:10-11「雨も雪も、ひとたび天から降れば、むなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ、種蒔く人には種を与え、食べる人には糧を与える。そのように、私の口から出る私の言葉もむなしくは、私のもとに戻らない。それは私の望むことを成し遂げ、私が与えた使命を必ず果たす」。
・そして民は帰国する。その時、荒野では茨に代って糸杉が、おどろに代ってミルトスが生える。茨は荒野に生える潅木、おどろは荒野のとげを持つ草である。その荒野が沃地とされ、神殿の建材にも用いられる糸杉と、屋根を葺くミルトスが生える。荒地が沃地に変えられ、呪いが祝福に変えられると預言者は歌う。
-イザヤ55:12-13「あなたたちは喜び祝いながら出で立ち、平和のうちに導かれて行く。山と丘はあなたたちを迎え、歓声をあげて喜び歌い、野の木々も、手をたたく。茨に代わって糸杉が、おどろに代わってミルトスが生える。これは、主に対する記念となり、しるしとなる。それはとこしえに消し去られることがない」。
・私たちの人生においてもこのことが起こった。信仰者は涙が喜びに変えられた経験を持つ故に、喜びを伝えるのだ。
-詩篇126:4-6「主よ、ネゲブに川の流れを導くかのように、私たちの捕われ人を連れ帰ってください。涙と共に種を蒔く人は喜びの歌と共に刈り入れる。種の袋を背負い泣きながら出て行った人は、束ねた穂を背負い喜びの歌をうたいながら帰ってくる」。
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