すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  詩編  >  2009年8月5日祈祷会(詩篇11編、主のまなざしに信頼する)
1.不当な迫害の中で逃げよと勧められる祈り手

・詩篇11編は不当な迫害の中で命が危険に追い込まれた祈り手の歌だ。彼の友人たちは、「不法と暴力が支配している」から、「今は山に逃げよ」と勧める。
-詩篇11:1-3「主を、私は避けどころとしている。どうしてあなたたちは私の魂に言うのか、『鳥のように山へ逃れよ。見よ、主に逆らう者が弓を張り、弦に矢をつがえ、闇の中から心のまっすぐな人を射ようとしている。 世の秩序が覆っているのに、主に従う人に何ができようか』と」。
・詩篇11編はサウル王の迫害を避けて荒野に逃れたダビデの歌とされてきた。ダビデはサウル王の武将として頭角を現し、民衆の人気が王をしのぐようになり、サウルはダビデを妬み、殺そうとし、ダビデは王宮から逃げる。
-汽汽爛┘18:5-9「ペリシテ人を討ったダビデも帰って来ると、・・・女たちが出て来て・・・楽を奏し、歌い交わした『サウルは千を討ち、ダビデは万を討った』。サウルはこれを聞いて激怒し、悔しがって言った『ダビデには万、私には千。あとは、王位を与えるだけか』。この日以来、サウルはダビデを妬みの目で見るようになった」。
・「世の秩序が覆っている」時、私たちはどうすれば良いのか。ドイツの牧師D.ボンヘッファーは1933年、ナチスが政権を取り、ユダヤ人迫害を始めると抗議するために告白教会を組織し、「不正な指導者には従うな」と呼びかけ、政権ににらまれる。心配した友人たちはアメリカ行きを勧め、1939年彼はアメリカにわたったが、すぐドイツに帰る「他の人々が犠牲になって苦しんでいる時、自分も苦しみを共にしなければもう祖国の人に福音を語れない」。彼は1943年4月に逮捕され、1945年4月に処刑されて死んだ。獄中で彼が作った詩は時代を超えて読まれている。
-新生讃美歌73番「善き力に我囲まれ、守り慰められて、世の悩み共に分かち、新しい日を望もう。過ぎた日々の悩み重く、なおのしかかる時も騒ぎ立つ心しずめ、御旨に従いゆく」。
・逃れることが必要な時と、踏み止まるべき時とを、どのように見極めるべきなのか。マルコは紀元70年のユダヤ戦争において、ローマ軍に包囲されたエルサレムから逃れよと信徒に勧める。この逃亡により教会は生き残った。
-マルコ13:14「憎むべき破壊者が立ってはならない所に立つのを見たら、読者は悟れ、そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい」。

2.「逃げない、主に委ねる」と応える祈り手

・祈り手は「逃げなさい」と言う勧告を断る。主が天の宮にいまして全てを知っておられ、必要な時には守ってくださると信じるからだ。
-詩篇11:4-6「主は聖なる宮にいます。主は天に御座を置かれる。御目は人の子らを見渡し、そのまぶたは人の子らを調べる。主は、主に従う人と逆らう者を調べ、不法を愛する者を憎み、逆らう者に災いの火を降らせ、熱風を送り、燃える硫黄をその杯に注がれる」。
・「人の子を調べる」の「調べる」は、金属の精錬の時に用いられる言葉だ。主が正しく裁かれる故に、その裁きに委ねると祈り手は言う。詩篇139編にも同じ信仰がある。
-詩篇139:8-10「天に登ろうとも、あなたはそこにいまし、陰府に身を横たえようとも、見よ、あなたはそこにいます。・・・あなたはそこにもいまし、御手をもって私を導き、右の御手をもって私をとらえてくださる」。
・江戸時代初期のキリシタン迫害においては多くのキリスト教徒が火刑にされて死んだ。主は助けてくださらなかったのだろうか。飯嶋和一「出星前夜」では島原の乱の悲惨な末路が記されている。ダニエル書には「たとえそうでなくとも」との信仰が記されているが、このような信仰を私たちは持てるのだろうか。
-ダニエル3:15-18「『私の建てた金の像を・・・拝まないなら、直ちに燃え盛る炉に投げ込ませる。お前たちを私の手から救い出す神があろうか』。(三人は)ネブカドネツァル王に答えた『・・・私たちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手から私たちを救うことができますし、必ず救ってくださいます。そうでなくとも、御承知ください。私たちは王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、決していたしません』」。
・祈り手は神の義にあくまでもこだわる。義なる神は必ず最善の道を用意されるはずだと。
-詩篇11:7「主は正しくいまし、恵みの業を愛し、御顔を心のまっすぐな人に向けてくださる」。
・ルカは、イエスは全てを主に委ねて十字架で死なれたと記す。わからなくとも委ねていく、それが信仰だ。
-ルカ23:46-47「イエスは大声で叫ばれた『父よ、私の霊を御手にゆだねます』。こう言って息を引き取られた。 百人隊長はこの出来事を見て『本当に、この人は正しい人だった』と言って、神を賛美した」。
・その委ねに応えて神はイエスをよみがえらせて下さった。死を超えた命を信じるのであれば、全ては満たされる。
-マタイ10:28「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい」。
プリンタ用画面
友達に伝える
前
2009年7月29日祈祷会(詩篇10編、神の沈黙の中で)
カテゴリートップ
詩編
次
2009年8月19日祈祷会(詩篇12編、悪の支配する世にあって)