すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  詩編  >  2009年7月29日祈祷会(詩篇10編、神の沈黙の中で)
1.神が見出せない時に

・詩篇10編のテーマは「神の沈黙」だ。この世には貧しい者が搾取され、その搾取をする者が罰せられないという現実がある。「善が栄え、悪が滅びる」のではなく、悪人が大手を振って生きている現実がある。
-詩篇10:1-2「主よ、なぜ遠く離れて立ち、苦難の時に隠れておられるのか。貧しい人が神に逆らう傲慢な者に責め立てられて、その策略に陥ろうとしているのに」。
・傲慢な者は「神などいない」、「自分を罰する者はいない」とうそぶき、事実彼を罰する者はいない。
-詩篇10:3-4「神に逆らう者は自分の欲望を誇る。貪欲であり、主をたたえながら、侮っている。神に逆らう者は高慢で神を求めず、何事も神を無視してたくらむ」。
・預言者として立たされたエレミヤが直面した問題も同じだ。「罪を認めて悔い改めよ」と叫ぶエレミヤを人々は嘲笑し、しかも彼の破壊預言は成就しない。悪がますます栄える現実の中で、エレミヤは神に叫ぶ。
-エレミヤ12:1-2「正しいのは、主よ、あなたです。それでも、私はあなたと争い、裁きについて論じたい。なぜ、神に逆らう者の道は栄え、欺く者は皆、安穏に過ごしているのですか。あなたが彼らを植えられたので、彼らは根を張り、育って実を結んでいます。口先ではあなたに近く、腹ではあなたから遠いのです」。
・被害の中にある祈り手は訴える「あなたの裁きはあまりにも高い」、あなたの裁きが届いていないと。
-詩篇10:5-7「あなたの裁きは彼にとってはあまりにも高い。彼の道はどのようなときにも力をもち、自分に反対する者に自分を誇示し、『私は揺らぐことなく、代々に幸せで、災いに遭うことはない』と心に思う。口に呪い、詐欺、搾取を満たし、舌に災いと悪を隠す」。
・悪に痛めつけられる者も絶望し、「神などいない」と叫ぶ。
-詩篇10:10-11「不運な人はその手に陥り、倒れ、うずくまり、心に思う『神は私をお忘れになった。御顔を隠し、永久に顧みてくださらない』と」。

2.何故この世に悪があるのか

・「何故この世の悪があるのか」、神義論と呼ばれる問題だ。哲学者のヒュームは次のように述べたという
−ヒューム「神は悪を阻止しようとする意思は持っているが、できないのだろうか。それならば、神は能力に欠けることになる。それとも、神は悪を阻止することができるが、そうしようとしないのだろうか。それならば、神は悪意があることになる。悪を阻止する能力もあり、その意思もあるのだろうか。でも、それならはなぜ悪が存在するのだ」。
・何故悪があるのか、神は何故悪を放置されるのか。祈り手もわからない。わからない中で彼は神を求める。
−詩篇10:12-13「立ち上がってください、主よ。神よ、御手を上げてください。貧しい人を忘れないでください。なぜ、逆らう者は神を侮り、罰などはない、と心に思うのでしょう」。
・私たちに出来ることは、わからなくとも求め続けることだ。その時、神は応えてくださる。
−詩篇10:14「あなたは必ず御覧になって、御手に労苦と悩みをゆだねる人を顧みてくださいます。不運な人はあなたにすべてをおまかせします。あなたはみなしごをお助けになります」。
・イエスが為されたのも「神よ何故ですか」と問い続けることだった。イエスの十字架上の祈りはそうだ。
−マルコ15:33-34「三時にイエスは大声で叫ばれた『エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ』。これは『わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか』という意味である」。
・神はこれに応えてキリストを死からよみがえらせた。私たちはこの神を信じていく。
−ピリピ2:8-9「(キリストは)へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました」。
・信仰とは見えないものがいつかは明らかになることを信じていくことだ。だから今わからなくとも良い。
−汽灰螢鵐13:12「私たちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。私は、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる」。
・エリ・ヴィーゼルはアウシュビッツ強制収容所での処刑体験を報告する「ある日、三人が絞首刑で処刑されることになった。二人は大人で一人は子供だった。収容所長の合図で三つの椅子が倒された。二人の大人はすぐに息絶えたが、子供は体重が軽くて臨終の苦しみを続けた。それを見ていたある者が叫ぶ『神はどこにおられるのだ』。その時ヴィーゼルは、心の中で叫ぶ『ここにおられる、ここに、この絞首台に吊るされておられる』」(エリ・ヴィーゼル『夜』から)。V.フランクルは「夜と霧」の中で報告する「鉄条網の中で、夕焼けを綺麗だ、と見上げることが
できた人間が生き残った」と。絶望しない力こそ信仰の与える恵みではないか。
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