すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  イザヤ書  >  2009年7月23日祈祷会(イザヤ52:13〜53:6、主の僕の受難機
1.主の僕の受難

・イザヤ52:13以下は主の僕の受難を描く。「主の僕」とは誰か。歴史家は捕囚民の祖国帰還を導いたセシバザル(エホヤキン王の4男)がモデルになったという。前539年ペルシア王クロスは諸国民に故国帰還を許し、第一陣としてセシバザルに率いられた民がエルサレムに戻る。セシバザルはダビデ家の家系ということもあり、帰還の民にメシアとして期待されたが、ペルシア当局によって失脚させられ、非業の死を遂げたと推測されている。
・セシバザル=第二イザヤの弟子たちがこの詩を書いたと思われる。主の僕は鞭打たれ、無残な姿で死んでいった。弟子たちは、僕の死は無意味のように思われたが、主は彼を高く上げ、その死によって民の罪は執り成されたと歌う。
−イザヤ52:13-15「見よ、私の僕は栄える。はるかに高く上げられ、あがめられる。かつて多くの人をおののかせたあなたの姿のように、彼の姿は損なわれ、人とは見えず、もはや人の子の面影はない。彼は多くの民を驚かせる。彼を見て、王たちも口を閉ざす。だれも物語らなかったことを見、一度も聞かされなかったことを悟ったからだ」。
・僕は病を負っていた(病はらい病だったと推測される)。人々は僕を見て、彼は「神にたたかれ、呪われている」と思った。神が選んだ僕は、堂々たる風格を持つ英雄ではなく、病を持ち、人が顔を背けるような外貌を持っていた。
−イザヤ53:1-3「私たちの聞いたことを、誰が信じえようか。主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のように、この人は主の前に育った。見るべき面影はなく、輝かしい風格も、好ましい容姿もない。彼は軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負い、病を知っている。彼は私たちに顔を隠し、私たちは彼を軽蔑し、無視していた」。
・帰国した僕は神殿再建に着手するが、ペルシアへの反乱を疑われ、処刑された。神殿は前538年に再建工事が始まるが、中断し、完成したのは前520年だった。完成した神殿を見て、人々は僕の犠牲によりこの神殿は成ったと思った。
−イザヤ53:4-5「彼が担ったのは私たちの病、彼が負ったのは私たちの痛みであったのに、私たちは思っていた、神の手にかかり、打たれたから、彼は苦しんでいるのだ、と。彼が刺し貫かれたのは、私たちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは、私たちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって、私たちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、私たちはいやされた」。

2.初代教会はイエスの中に主の僕を見た

・初代教会の人々は、神の子と信じたイエスが何故十字架の呪いの中で死ななければならなかったのか、わからなかった。人々がそれを理解する契機になったのがこのイザヤ53章だった。ルカはエチオピア人宦官の口にイザヤ53章を朗読させ、苦難の僕こそイエスだったと告げる。
-使徒言行録8:32-35「彼が朗読していた聖書の個所はこれである『彼は、羊のように屠り場に引かれて行った。毛を刈る者の前で黙している小羊のように、口を開かない。卑しめられて、その裁きも行われなかった。だれが、その子孫について語れるだろう。彼の命は地上から取り去られるからだ』。宦官はフィリポに言った『どうぞ教えてください。預言者は、だれについてこう言っているのでしょうか。自分についてですか。だれかほかの人についてですか』。そこで、フィリポは口を開き、聖書のこの個所から説きおこして、イエスについて福音を告げ知らせた」。
・イエスの十字架で逃げ、復活のイエスに出会って戻ったペテロも、この苦難の僕こそイエスであったと告白する。
-汽撻謄2:22-25「『この方は、罪を犯したことがなく、その口には偽りがなかった』。ののしられてもののしり返さず、苦しめられても人を脅さず、正しくお裁きになる方にお任せになりました。そして、十字架にかかって、自らその身に私たちの罪を担って下さいました・・・そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました。あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、今は、魂の牧者であり、監督者である方のところへ戻って来たのです」。
・イエスは多くの病を癒されたが、その癒しは触れてはいけないらい病者に触れ、癒してはいけない安息日に癒し、汚れていると卑しめられた娼婦や徴税人との交わりの中で為された。それが祭司や律法学者の怒りを招き、イエスを十字架に導く。イエスの癒しは自己の身を削ることによって為された。マタイは癒しの背後に贖罪の働きを見る。
-マタイ8:16-17「夕方になると、人々は悪霊に取りつかれた者を大勢連れて来た。イエスは言葉で悪霊を追い出し、病人を皆いやされた。それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった『彼は私たちの患いを負い、私たちの病を担った』」。
・パウロもピリピ書の中で、イエスこそ苦難の僕であったと証する。イエスは神と人に仕えることを通して救済の業を為された。教会のリーダーシップは指導することではなく、仕えることで為されていく。
-ピリピ2:7-9「「かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました」。

バビロン捕囚年表(江守宮夫氏作成、聖書の呼ぶ声から)

BC598  ユダ王国、バビロニアに反乱し、ネブカドネツアル、ヨヤキン王らを連れ去る(第1回捕囚)。
BC587  ゼデキヤ王反乱、エルサレム神殿崩壊。ユダ王国滅亡(第2回捕囚)。
BC582  第3回捕囚
BC562  バビロニア王ネブカドネザル没す
BC561   ヨヤキン幽閉を解かれる
BC559  ペルシアがメディアから独立
BC539  ペルシア王キュロス、バビロン入城
BC538  第一陣、セシバザルら祖国帰還、定着開始
BC520  第二陣、ゼルバベル帰還、神殿再建
BC445  第三陣、ネヘミヤの帰還、エルサレム城壁再建
BC398  第四陣、エズラの帰還、律法(モーセ5書)公布
      捕囚後200年(帰還後140年後)、祭司共同体としての体制が完成。

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