すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  イザヤ書  >  2009年6月11日祈祷会(イザヤ48章、新しいことを聞かせよう)
1.第一部の締めくくりの歌

・第二イザヤは40−48章がバビロンからの解放預言、49−55章が祖国帰還の預言だ。48章は第一部の締めくくりであり、前半は解放預言の再確認、後半は祖国帰還が予告される。48章冒頭は、主との関係の中に置かれながら真実を持って応答しない民に、「聞け、イスラエル」と叱責の預言が為される。
−イザヤ48:1-2「ヤコブの家よ、これを聞け。ユダの水に源を発し、イスラエルの名をもって呼ばれる者よ。まこともなく、恵みの業をすることもないのに、主の名をもって誓い、イスラエルの神の名を唱える者よ。聖なる都に属する者と称され、その御名を万軍の主と呼ぶイスラエルの神に依りすがる者よ」。
・「この民は頑なであった」と主は言われる。多くの恵みを受けながら、捕囚と言う逆境になればすぐに主を忘れ、偶像の神に走る。イスラエルがその選びに値しない民であることは繰り返し預言されてきた(申命記31:16-21)。
−イザヤ48:3-5「初めからのことを私は既に告げてきた。私の口から出た事を私は知らせた・・・お前が頑固で、鉄の首筋をもち、青銅の額をもつことを知っているから。私はお前に昔から知らせ、事が起こる前に告げておいた。これらのことを起こしたのは、私の偶像だ、これを命じたのは、私の木像と鋳像だとお前に言わせないためだ」。
・歴史は一度滅ぼされた国が再び国家を形成することを知らない。しかし、イスラエルにおいてそれは起こる。それはこれまでの歴史が知らない「新しいこと」だ。諸国の民は驚くであろう。
-イザヤ48:6-8「これから起こる新しいことを知らせよう、隠されていたこと、お前の知らぬことを。それは今、創造された。昔にはなかったもの、昨日もなかったこと。それをお前に聞かせたことはない。見よ、私は知っていたとお前に言わせないためだ。お前は聞いたこともなく、知ってもおらず、耳も開かれたことはなかった。お前は裏切りを重ねる者、生まれたときから背く者と呼ばれていることを私は知っていたから」。
・「お前は頑なであるが私はお前を救う。何故ならばお前を選び、民としたのは、私だからだ」と主は言われる。ここに救済は、人がそれに値するからではなく、神の一方的な恵みとして為されることが宣言されている。
-イザヤ48:9-11「私は、私の名のために怒りを抑え、私の栄誉のために耐えて、お前を滅ぼさないようにした。見よ、私は火をもってお前を練るが、銀としてではない。私は苦しみの炉でお前を試みる。私自身のために、私自身のために、私は事を起こす。私の栄光が汚されてよいであろうか。私はそれをほかの者には与えない」。

2.解放から帰還へ

・バビロンを滅ぼし、民を解放する者は、ペルシャ王クロスだ。しかし、ここではクロスの名前を出されていない。クロスは器に過ぎないからだ。器に過ぎない者がやがて「私は自分の手で為した」と言い始める時、彼もまた砕かれる。
-イザヤ48:14-15「皆、集まって聞くがよい。彼らのうちに、これを告げた者があろうか。主の愛される者が、主の御旨をバビロンに行い、主の御腕となる人が、カルデア人に行うことを。私が宣言し、私が彼を呼んだ。彼を連れて来て、その道を成し遂げさせる」。
・イスラエルを贖われる主は言われる「あなた方が私の戒めを守り、道からそれないならば、私はあなた方を祝福する」と。祝福には物質的な利益が、具体的な幸福が付随することを主は明言される。信仰は報われるのだ。報いのみを求めた時に信仰はゆがむが、信仰は結果としての報い(平安)をもたらすことは銘記すべきだ。
-イザヤ48:17-19「私は主、あなたの神、私はあなたを教えて力をもたせ、あなたを導いて道を行かせる。私の戒めに耳を傾けるなら、あなたの平和は大河のように、恵みは海の波のようになる。あなたの子孫は砂のように、あなたから出る子らは砂の粒のように増え、その名は私の前から断たれることも、滅ぼされることもない」。
・信仰は報われる。そのためには聞いて行うことが必要だ。しかし人々は聞こうとしない。飾りのような信仰は何の意味も無いと現代の預言者バルトは叫ぶ。
-カール・バルト説教選集6巻「人々を満足させる牧師」より:「偽りの預言者とは、人々に満足を与える牧師のことである・・・彼は自分が神の名において語っていると夢想しているが、彼は世論の名において、立派な人々の名において語っているに過ぎない。キリスト教はあなた方にとって好ましく重要なものである。あなた方は生活の美しい飾りとしてそれを好む。しかし、神の霊とこの世の霊との間には平和はない。神の意志と人間の意志との間の平和を説教し、現在の生と新しい生を穏やかに賢く結び付け、民が築く隙間の多い壁に宗教と言う漆喰を上塗りし、人々を満足させようとする、そのようなことには何の意味もない・・・あなた方は人があなた方に神について語りつつ、同時にあなた方を満足させてくれるのを、求めることは出来ない。二つのうちの一つを選ばなければならない」
・帰国の道が整えられる。さあ、祖国に帰れとイスラエルの民は励まされる。
-イザヤ48:20-22「バビロンを出よ、カルデアを逃げ去るがよい。喜びの声をもって告げ知らせ、地の果てまで響かせ、届かせよ。主は僕ヤコブを贖われた、と言え。主が彼らを導いて乾いた地を行かせるときも彼らは渇くことがない。主は彼らのために岩から水を流れ出させる。岩は裂け、水がほとばしる。神に逆らう者に平和はないと主は言われる」。
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