すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  詩編  >  2009年6月10日祈祷会(詩篇3編、世の人々から捨てられた時)
1.ダビデの都落ち

・詩篇3編の冒頭には「ダビデがその子アブサロムを逃れた時」との表題がついている。これは詩篇編集者がこの詩を、ダビデが三男アブサロムの反逆によって自分が造った都エルサレムを追われた時の心情を歌ったものと解釈したからであろう。その詳細はサムエル記下15-17章にあるが、ダビデはエルサレムが戦場になることを避けて逃れた。
-競汽爛┘15:10-16「アブサロムはイスラエルの全部族に密使を送り・・・『アブサロムがヘブロンで王となった』と言うように命じた・・・陰謀が固められてゆき、アブサロムのもとに集まる民は次第に数を増した。イスラエル人の心はアブサロムに移っているという知らせが、ダビデに届いた。ダビデは・・・家臣全員に言った『直ちに逃れよう。アブサロムを避けられなくなってはいけない。我々が急がなければ、アブサロムがすぐに我々に追いつき、危害を与え、この都を剣にかけるだろう』。・・・こうして王は出発し、王宮の者が皆、その後に従った」。
・アブサロムが父ダビデに反逆したのは彼を恨んでいたからだ。妹を辱めた異母兄アムノンを殺したアブサロムをダビデは赦さなかった。一時アブサロム方が優勢になり、民衆の心はダビデを離れ、人々は彼に石を投げた。
-競汽爛┘16:7-8「シムイは呪ってこう言った『出て行け、出て行け。流血の罪を犯した男、ならず者。サウル家のすべての血を流して王位を奪ったお前に、主は報復なさる。主がお前の息子アブサロムに王位を渡されたのだ。お前は災難を受けている。お前が流血の罪を犯した男だからだ』」。
・この視点から詩篇3編を見た時、これを「ダビデがその子アブサロムを逃れた時」と位置づけた編集者の考えは理解できる。3:2-3は裏切られ、失意の中にある者の嘆きの歌だ。
-詩篇3:2-3「主よ、私を苦しめる者はどこまで増えるのでしょうか。多くの者が私に立ち向かい、多くの者が私に言います「彼に神の救いなどあるものか」と」。
・ダビデは自分を呪う者に反論しなかった。出来事の原因が自分にあることを知る故だ。アブサロム反逆の真の要因は王位継承争いであり、それを招いたのはダビデの多情だ。彼は多くの妻妾を持ち、王子だけで19人も設けた。
-競汽爛┘16:11-12「私の身から出た子が私の命をねらっている・・・(彼は)主の御命令で呪っているのだ。主が私の苦しみを御覧になり、今日の彼の呪いに代えて幸いを返してくださるかもしれない」。

2.世から捨てられた時

・多くの学者はこの歌はダビデ自身の作ではなく、表題は後代の付加と考える。後代の人々はダビデを神格化し、「メシアはダビデの末から生まれる」と考えた。しかし、イエスは「ダビデもまた罪人に過ぎない」と言われた(マタイ22:41-45)。救いは人からではなく主から来る。この歌は人間ダビデの苦しみを超えた深みを持つ。
-詩篇3:4-5「主よ、それでもあなたは私の盾、私の栄え、私の頭を高くあげてくださる方。主に向かって声をあげれば、聖なる山から答えてくださいます」。
・四面楚歌の孤独に追込まれれば、多くの人は不眠に陥る。しかし詩人は神に信を置く故に、夜も寝ることが出来、元気を取り戻すことが出来る。末期癌で苦しむ人も、いじめで孤立した人も、安らかな眠りこそ、安息の時だ。
-詩篇3:6-7「身を横たえて眠り、私はまた、目覚めます。主が支えていてくださいます。いかに多くの民に包囲されても、決して恐れません」。
・詩人は神に訴える「彼らは私があなたから見捨てられたと言っています。どうか立ち上がり、そうでないことを示してください」と。「御手を示したまえ」、「御業を現したまえ」、このような祈りを私たちも許されている。
-詩篇3:8「主よ、立ち上がってください。私の神よ、お救いください。すべての敵の顎を打ち、神に逆らう者の歯を砕いてください」。
・多くの注解者は8節を完了形で読む。その時、8節は「主はこれまでも救ってくださった故に、これからも救ってくださるだろう」との信仰の表明になる。
−月本昭男訳3:8「立ち上がってください、ヤハウェ。私を救ってください、わが神よ。あなたはわが敵すべての頬を打ちたたき、邪悪な者らの歯を折られたのですから」。
・この時、8節はパウロの信仰の確信と同じ意味を持つ。過去の救いの体験こそが、将来の救いの確信をもたらす。
−競灰螢鵐1:10「神は、これほど大きな死の危険から私たちを救ってくださったし、また救ってくださることでしょう。これからも救ってくださるにちがいないと、私たちは神に希望をかけています」。
・詩篇3編は敵への報復を求める詩ではない。神の守りを確信できる者は、自分を呪うものを祝福できるのだ。
−詩篇3:9「救いは主のもとにあります。あなたの祝福があなたの民の上にありますように」。
・これはパウロがローマ書で教えた祈りと一致する。詩篇3篇は旧約を超えた祈りだ。
−ローマ12:14「あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません」。
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