すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  イザヤ書  >  2009年6月4日祈祷会(イザヤ47章、バビロンの滅亡)
1.バビロン滅亡の預言

・第二イザヤは46章でバビロンの神々への審判を歌い、47章では擬人化された都バビロンへの審判を歌う。アッシリアを倒して世界帝国となったバビロニアも、国運が衰退し滅亡の危機に直面している。この様を第二イザヤは、優雅で贅沢な生活を過ごしていた娘が女奴隷となり、屈辱的な姿で追放されると表現する。
-イザヤ47:1-3「身を低くして塵の中に座れ、おとめである、娘バビロンよ。王座を離れ、地に座れ、娘カルデアよ。柔らかでぜいたくな娘と呼ばれることは二度とない。石臼を取って粉をひけ。ベールを脱ぎ、衣の裾をたくし上げ、すねをあらわにして川を渡れ。お前は裸にされ、恥はあらわになる。私は報復し、一人も容赦しない」。
・バビロン滅亡を歌った記事はイザヤ13-14章、エレミヤ50-51章にもある。おそらくは同時代のものであるが、それらはいずれも民族的な憎悪と復讐が強く出ている。それに対してイザヤ47章はイスラエル民族の覚醒を求めるための呼びかけであり、復讐よりも、神ならぬものを頼る空しさが強く打ち出されている。
-イザヤ47:4「私たちの贖い主、その御名は万軍の主、イスラエルの聖なる神」。
・黙示録は世界審判のしるしとしてバビロン滅亡を描く。バビロン滅亡は神の業だとの第二イザヤの信仰は新約聖書にも継承されている。黙示録18章の記述はイザヤ47章を参考にしている。
-ヨハネ黙示録18:2-8「倒れた。大バビロンが倒れた・・・彼女がおごり高ぶって、ぜいたくに暮らしていたのと、同じだけの苦しみと悲しみを、彼女に与えよ。彼女は心の中でこう言っているからである。『私は、女王の座に着いており、やもめなどではない。決して悲しい目に遭いはしない』。それゆえ、一日のうちに、さまざまの災いが、死と悲しみと飢えとが彼女を襲う。また、彼女は火で焼かれる。彼女を裁く神は、力ある主だからである。」
・バビロンは何故滅ぼされるのか。第一に主によってバビロンに渡されたイスラエルの民を虐待したこと、第二にバビロンの繁栄が主からの恵みであったのに、あたかも自分でこれを為したと驕り高ぶったことである。
-イザヤ47:5-7「沈黙して座り、闇の中に入れ、娘カルデアよ。諸国の女王と呼ばれることは二度とない。私は自分の民に対して怒り、私の嗣業の民を汚し、お前の手に渡した。お前は彼らに憐れみをかけず、老人にも軛を負わせ、甚だしく重くした。私は永遠に女王だ、とお前は言い、何事も心に留めず、終わりの事を思わなかった」。
・歴史は覇者がその栄光を持続することは出来ないことを教える。「奢れる者は久しからず」、そこに神の意思を認めるかどうかが信仰だ。ルカの描く「愚かな金持ち」は、自分が死ぬことを認識しないゆえに「愚かだ」と言われる。
-ルカ12:19-21「(愚かな金持ちは言った)『さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ』と。しかし神は『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた」。

2.人は神の裁きから逃れることは出来ない

・バビロンは嘯いた「私は永遠に女王であり、子を失い、やもめになることはない」と。主はその傲慢を砕かれる。
-イザヤ47:8-10「今、これを聞くがよい、快楽に浸り、安んじて座る女よ。私だけ、私のほかにはだれもいない、と言い、私はやもめになることなく、子を失うこともない、と心に言う者よ。その二つのことが、一日のうちに、瞬く間にお前に起こり、子を失いやもめとなる苦しみがすべてお前に臨む」。
・バビロンでは祭司は神々に犠牲を捧げてこれをなだめ、占い師は天体の動きを見て神意を探り、これを告げる。しかし破滅に瀕した今、それらの魔術や占いは、お前たちを救えず、何の役にも立たないではないかとイザヤは言う。
-イザヤ47:11-12「だが、災いがお前を襲うと、それに対するまじないを知らず、災難がふりかかっても、払いのけられない。思いもかけない時、突然、破滅がお前を襲う。まじないと呪文の数々をもって立ち向かえ。若い時から労して身につけたものが、あるいは役に立ち、それを追い払うことができるかもしれない」。
・魔術師はこうすべきだと言い、占い師は別のことを言い、人々は困惑している。天地を創造された方の御心を占いで知り、魔術で変えられると本当に思っているのか、愚か者たちよとイザヤは嘲笑する。マタイ2:1-2でイエスを訪ねた三人の占星術師はバビロンから来た。魔術師が御子を拝んだ、この出来事をマタイは回心の記事として描く。
-イザヤ47:13-15「助言が多すぎて、お前は弱ってしまった。天にしるしを見る者、星によって占う者、新月によってお前の運命を告げる者などを、立ち向かわせ、お前を救わせてみよ。見よ、彼らは藁にすぎず、火が彼らを焼き尽くし、炎の力から自分の命を救い出しえない・・・彼らはおのおの勝手に迷って行き、お前を救う者は一人もいない」。
・半世紀にわたる捕囚の中で民は主に対する信仰を失い、異教の神々に魅せられていった。しかし、その神々は他人はおろか自分さえも救えない。何故このような神々に頼るのか、天地を創造された主に帰れとイザヤは歌っている。
-詩篇121:1「目を上げて、私は山々を仰ぐ。私の助けはどこから来るのか。私の助けは来る、天地を造られた主のもとから」
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