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トップ  >  詩編  >  2009年6月3日祈祷会(詩篇2編、主の油注がれた者〜これは私の子)
1.王の即位式に読まれた詩篇2編

・詩篇2編は王の詩篇と呼ばれ、即位式で読まれた式文であろう。王の即位式では契約の後に王に油が注がれた。イスラエルは小国であり、新しい王が即位した時、周辺諸国はイスラエルを征服しようと騒ぎ立てた。
-詩篇2:1-3「なにゆえ、国々は騒ぎ立ち、人々はむなしく声をあげるのか。なにゆえ、地上の王は構え、支配者は結束して、主に逆らい、主の油注がれた方に逆らうのか。『我らは、枷をはずし、縄を切って投げ捨てよう』と」。
・「油注がれた者」、メシアである。主に油注がれ、全治の支配を委ねられたのに、地上の王たちはこの支配を認めない。天の主は地上の王たちを嘲笑される「私が立てた者にお前たちは逆らうのか、それは私に逆らうことだ」。
-詩篇2:4-6「天を王座とする方は笑い、主は彼らを嘲り、憤って、恐怖に落とし、怒って、彼らに宣言される。「聖なる山シオンで、私は自ら、王を即位させた」。
・ユダヤの指導者と民がイエスを拒絶して殺し、その弟子たちを迫害した時、ルカは詩篇と同じ事柄が起こったと理解した。故に彼は使徒言行録2章・「使徒たちの祈り」に詩篇2編を用いて、人々の誤りを描き出す。
-使徒4:24-26「主よ、あなたは天と地と海と、そして、そこにあるすべてのものを造られた方です。あなたの僕であり、また、私たちの父であるダビデの口を通し、あなたは聖霊によってこうお告げになりました『なぜ、異邦人は騒ぎ立ち、諸国の民はむなしいことを企てるのか。地上の王たちはこぞって立ち上がり、指導者たちは団結して、主とそのメシアに逆らう』」。
・古代世界では王は神の子だった。王の即位式の時に、祭司が立ち上がり、神の言葉を読み上げる「お前は私の子、今日、私はお前を生んだ」と。王は神の選びにより立てられ、神から統治権を委ねられる。
-詩篇2:7-9「主の定められたところに従って私は述べよう。主は私に告げられた『お前は私の子、今日、私はお前を生んだ。求めよ。私は国々をお前の嗣業とし、地の果てまで、お前の領土とする。お前は鉄の杖で彼らを打ち、陶工が器を砕くように砕く』」
・イエスの洗礼時にこの言葉は響き、イエスの山上の変容でも響いた。マルコはイエスを神の子として描いている。
-マルコ1:10-11「(イエスが)水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。すると『あなたは私の愛する子、私の心に適う者』という声が、天から聞こえた」。
-マルコ9: 7「雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした『これは私の愛する子。これに聞け』」。
・全ての王たちはこのメシアに従えと命令される。何故ならば、彼こそがメシア、王の王だからだ。
-詩篇2:10-12「すべての王よ、今や目覚めよ。地を治める者よ、諭しを受けよ。畏れ敬って主に仕え、おののきつつ喜び躍れ。子に口づけせよ、主の憤りを招き、道を失うことのないように。主の怒りはまたたくまに燃え上がる」。

2.王の即位式讃美の詩篇がメシア預言として読まれる

・イスラエルは小国であり、決して世界帝国にはならなかった。「全ての王がひざを屈める」、それは歴史的出来事ではなく、信仰的出来事だ。主がイスラエルを選ばれた故にその都エルサレム(シオン)が世界の首都になる。
-イザヤ2:2-3「終わりの日に、主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち、どの峰よりも高くそびえる。国々はこぞって大河のようにそこに向かい、多くの民が来て言う『主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主は私たちに道を示される。私たちはその道を歩もう』と。主の教えはシオンから、御言葉はエルサレムから出る」。
・イスラエルは主の選びを信じた。その選びがダビデ契約として王朝の永続性を約束した(サムエル下7:16)。しかし王たちは主の委託に応えず、権力のままに振舞う。預言者たちはダビデ王朝の断絶を預言し始める。
-エレミヤ36:31「私は、王とその子孫と家来たちをその咎のゆえに罰する。彼らとエルサレムの住民およびユダの人々に災いをくだす。この災いは、すべて既に繰り返し告げたものであるが、彼らは聞こうとはしなかった」。
・預言通りダビデ王朝は断絶する。それでも人々はこの詩篇を読み続け、第2編はメシア到来の預言として読まれた。新約記者はイエスこそダビデの子、詩篇2編が預言した、来るべきメシアであったと証言する。
-使徒言行録13:33「神はイエスを復活させて、私たち子孫のためにその約束を果たしてくださったのです。それは詩編の第二編にも、『あなたは私の子、私は今日あなたを産んだ』と書いてあるとおりです」。
・使徒言行録1章の宣教命令は詩篇第2篇8-9節の成就として読まれるべきであろう。
-使徒言行録1:8「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、私の証人となる」。
・詩篇1編はこの世の悪の問題に直面しながら、なお主の言葉に留まる人々を「幸いだ」と歌う。詩篇2編は権力抗争に明け暮れる地上の国々の問題に直面しながら、なお主の言葉に留まる人々を「幸いだ」と歌った。
-詩篇2:12b「いかに幸いなことか、主を避けどころとする人はすべて」。
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