すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  イザヤ書  >  2009年5月21日祈祷会(イザヤ45章、異邦人を救済者として用いられる神)
1.主の僕キュロス

・イザヤ40−55章は第二イザヤとよばれ、バビロンの地に捕らえられたイスラエルの解放を歌う。40−48章が前半で、そこにおいてはペルシャ王キュロスが「主の牧者」「主に油注がれた者」とよばれる。
-イザヤ44:28-45:1「キュロスに向かって、私の牧者、私の望みを成就させる者と言う。エルサレムには再建されると言い、神殿には基が置かれると言う。主が油を注がれた人キュロスについて、主はこう言われる。私は彼の右の手を固く取り、国々を彼に従わせ、王たちの武装を解かせる。扉は彼の前に開かれ、どの城門も閉ざされることはない」。
・「主の牧者」羊の群れを牧するように委ねられた者、「油注がれた者」マーシアハ=メシアである。異邦人をメシアと呼ぶのは聖書中ここだけだ。第二イザヤは、主がキュロスにイスラエルの解放という使命を与えられたと考えた。
-イザヤ45:2-3「私はあなたの前を行き、山々を平らにし、青銅の扉を破り、鉄のかんぬきを折り、暗闇に置かれた宝、隠された富をあなたに与える。あなたは知るようになる。私は主、あなたの名を呼ぶ者、イスラエルの神である、と」。
・バビロンの城壁には100の青銅の門があり、それをキュロスが破って都を征服し、その宝物を自分のものにすることが預言される。しかしキュロスは自分の召命を知らない。彼は自分の力でそれを為したと思うだろうと言われる。
-イザヤ45:4「私の僕ヤコブのために、私の選んだイスラエルのために、私はあなたの名を呼び、称号を与えたが、あなたは知らなかった」。
・第二イザヤは、歴史を支配する者はキュロスではなく主であることを強調する。歴史は主が先導され、主こそ唯一の神であり、主こそ真の支配者だ。キュロスもまた主の器に過ぎない。ここにはキュロスに対する偶像化はない。
-イザヤ45:5-7「私が主、ほかにはいない。私をおいて神はない。私はあなたに力を与えたが、あなたは知らなかった。日の昇るところから日の沈むところまで人々は知るようになる。私のほかは、むなしいものだ、と。私が主、ほかにはいない。光を造り、闇を創造し、平和をもたらし、災いを創造する者。私が主、これらのことをするものである」。
・私たちはこの文章をどう読むだろうか。経済学者であった矢内原忠雄は1937年「国家の理想」という論文を中央公論に発表した。「国家の理想は正義と平和にある、戦争という方法で弱者をしいたげることではない。理想にしたがって歩まないと国は栄えない、一時栄えるように見えても滅びる」と矢内原は書いた。矢内原は古代の覇権国家アッシリアの例を引いて、「日本は中国を懲らしめるための神の鞭、アッシリアに過ぎないのに、いつの間にか自分が神のように振舞い始めている」として、1937年7月に盧溝橋事件を起こして、中国本土を征服しようとした日本を批判した。

2.人の思いを超えた神の行為

・イスラエルの民はキュロスによる救済を否定した。「神の民が異邦人によって救われることなどあるわけがない」と批判する。イザヤは民に向かって「神の救済の方法にまで文句を言うあなたたちは何者なのか」と怒る。
-イザヤ45:9-10「災いだ、土の器のかけらにすぎないのに、自分の造り主と争う者は。粘土が陶工に言うだろうか、『何をしているのか、あなたの作ったものに取っ手がない』などと。災いだ、なぜ子供をもうけるのか、と父親に言い、なぜ産みの苦しみをするのか、と女に問う者は」。
・捕囚のどん底にあって滅ぼされて当然のあなたが、救い方が悪いと言って創造者に文句を言うのか。同じ怒りをパウロは「神はユダヤ人のみを救われ、異邦人は救われない」と主張する頑固な同胞に向ける。
-ローマ9:20-24「人よ、神に口答えするとは、あなたは何者か。造られた物が造った者に『どうして私をこのように造ったのか』と言えるでしょうか。焼き物師は同じ粘土から、一つを貴いことに用いる器に、一つを貴くないことに用いる器に造る権限があるのではないか。神はその怒りを示し、その力を知らせようとしておられたが、怒りの器として滅びることになっていた者たちを寛大な心で耐え忍ばれたとすれば、それも、憐れみの器として栄光を与えようと準備しておられた者たちに、御自分の豊かな栄光をお示しになるためであったとすれば、どうでしょう。神は私たちを憐れみの器として、ユダヤ人からだけでなく、異邦人の中からも召し出してくださいました」。
・第二イザヤはかたくなな民にむかって、それでも「主は異邦人を用いて私たちを救われる」ことを繰り返す。
-イザヤ45:11-13「イスラエルの聖なる神、その造り主、主はこう言われる。あなたたちはしるしを求めるのか。私の子ら、私の手の業について私に命ずるのか。大地を造り、その上に人間を創造したのは私。自分の手で天を広げ、その万象を指揮するもの。私は正義によって彼を奮い立たせ、その行く道をすべてまっすぐにする。彼は私の都を再建し、私の捕らわれ人を釈放し、報酬も賄賂も求めない。万軍の主はこう言われた」。
・同志社大学大学院教授で経済学者の浜矩子さんが、2009年5月13日朝日新聞朝刊に「バッドペニー(悪貨)は繰り返し手元に戻る」として、辞任した民主党小沢一郎がキュロスの役割を担うのではないかとのコメントを寄せた。浜矩子さんがクリスチャンかどうか知らない。しかし聖書を学び、聖書の出来事から、現代の政治を見て分析した。その結果、これまでにない深い洞察が可能になった。私たちがイザヤ書を学ぶ意味もここにあるのではないか。
-記事の概要「バッドペニーは繰り返し手元に戻る・・・小沢一郎というバッドペニーもその執拗なカムバックぶりに一種の見事さがあった・・・彼がここまで世にはばかり続けてこられたことについては、彼が果たすべき一定の歴史的、社会的役割があったのではないか・・・聖書に出てくる古代の圧制者キュロス(ペルシャ王)はバビロニアに捕囚されていたユダヤ人たちを解放し、伝道者パウロは元々はキリスト教の迫害者だった・・・圧制者が民族解放の役割を果たし、迫害者が転じて信仰の熱き担い手になる。ことほどさように、天は意外な人物を意外な場面で起用する・・・小沢一郎にヒーロー役は明らかに不似合いだ。新しい流れを呼び起こすイメージはない。むしろ悪しき旧弊に色濃く染まった人物だ・・・だがそのような人物に対してであっても、必要とあらば天命が下る。そこが歴史の面白いところだ」。
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