すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  イザヤ書  >  2009年5月14日祈祷会(イザヤ44章、イスラエルを贖われる主)
1.どのような時に捨てない神の愛を見よ

・イスラエルは捕囚の苦しみと失意の中で嘆き、つぶやいた。彼らが見つめるのは自己の不幸、自己の不満のみであり、神が何故そうされたかを考えようとしない。その愚かな民を神はなおも証人として立てるといわれる。
-イザヤ43:8-14「引き出せ、目があっても、見えぬ民を。耳があっても、聞こえぬ民を・・・私の証人はあなたたち、私が選んだ私の僕だ、と主は言われる・・・ あなたたちを贖う方、イスラエルの聖なる神、主はこう言われる。私は、あなたたちのためにバビロンに人を遣わして、かんぬきをすべて下ろし、カルデア人を歓楽の船から引き下ろす」。
・その文脈の中で、イスラエルに対する慰めが語られる。「私はあなたを救う。私はあなたを造ったからだ」と。
-イザヤ44:1-3「そして今、私の僕ヤコブよ、私の選んだイスラエルよ、聞け。あなたを造り、母の胎内に形づくり、あなたを助ける主は、こう言われる。恐れるな、私の僕ヤコブよ。私の選んだエシュルンよ。私は乾いている地に水を注ぎ、乾いた土地に流れを与える。あなたの子孫に私の霊を注ぎ、あなたの末に私の祝福を与える」。
・イスラエルに神の霊が注がれ、昔日の繁栄を取り戻し、異邦人もまた主を知り改宗する。教会分裂により信徒が散らされた私たちの教会は、転入者を中心に新しい教会形成が進んでいる。私たちもまた捕囚からの解放過程にある。
-イザヤ44:4-5「彼らは草の生い茂る中に芽生え、水のほとりの柳のように育つ。ある者は『私は主のもの』と言い、ある者はヤコブの名を名乗り、またある者は手に『主のもの』と記し、『イスラエル』をその名とする」。
・私たちの主は万軍の主であり、歴史を支配される。その主はどのような時にも民を見捨てない。
-イザヤ44:6-8「イスラエルの王である主、イスラエルを贖う万軍の主は、こう言われる。私は初めであり、終わりである。私をおいて神はない。・・・ 恐れるな、おびえるな。既に私はあなたに聞かせ、告げてきたではないか。あなたたちは私の証人ではないか。私をおいて神があろうか、岩があろうか。私はそれを知らない」。
・神の愛はどのような時にも見捨てない愛だ。神は私たちを覚えて下さる、私たちを忘れておられるのではない。
-イザヤ44:21-22「思い起こせ、ヤコブよ、イスラエルよ、あなたは私の僕。私はあなたを形づくり、私の僕とした。イスラエルよ、私を忘れてはならない。私はあなたの背きを雲のように、罪を霧のように吹き払った。私に立ち帰れ、私はあなたを贖った」。
・与えられたのは呪いではなく試練だった。そのことを知った時、どのような状況下でも立ち上がることが出来る。
-ヘブル12:10-12「霊の父は私たちの益となるように、御自分の神聖にあずからせる目的で私たちを鍛えられるのです。およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に義という平和に満ちた実を結ばせるのです。だから萎えた手と弱くなったひざをまっすぐにしなさい」。

2.偶像を捨てて立ち返れといわれる主

・44章後半には偶像への対決が歌われる。第二イザヤは繰り返し偶像批判を行う。捕囚の民がバビロンで直面した最大の問題が偶像だった。国を滅ぼされた民は「私たちの神よりバビロンの神のほうが強い」として偶像神マルドゥク(ヘブル語ベル、ネボはその子)信仰に走った。イザヤは言う「人間の手で造ったものを何故拝むのか」と。
-イザヤ44:9-11「偶像を形づくる者は皆、無力で、彼らが慕うものも役に立たない。彼ら自身が証人だ。見ることも、知ることもなく、恥を受ける。無力な神を造り、役に立たない偶像を鋳る者はすべてその仲間と共に恥を受ける」。
・偶像はどのようにして造られるのかあなたは知っているか。鉄工は金槌と炭火で金属を加工し、木工はコンパスで図を描き、人の形に似せて像を彫る。
-イザヤ44:12-13「鉄工は金槌と炭火を使って仕事をする。槌でたたいて形を造り、強い腕を振るって働くが、飢えれば力も減り、水を飲まなければ疲れる。木工は寸法を計り、石筆で図を描き、のみで削り、コンパスで図を描き、人の形に似せ、人間の美しさに似せて作り、神殿に置く」。
・人は木の一部をとって暖をとり、パンを焼き、残りで像を造って拝む。このような像があなたを救うのか。
-イザヤ44:15-17「木は薪になるもの。人はその一部を取って体を温め、一部を燃やしてパンを焼き、その木で神を造ってそれにひれ伏し、木像に仕立ててそれを拝むのか。また、木材の半分を燃やして火にし、肉を食べようとしてその半分の上であぶり、食べ飽きて身が温まると『ああ、温かい、炎が見える』などと言う。残りの木で神を、自分のための偶像を造り、ひれ伏して拝み、祈って言う『お救いください、あなたは私の神』と」。
・偶像は何の力も持たない。例えその偶像が神の象徴だとして、その神さえ太陽や月などの被造物に過ぎない。古代の神々はその民族と共に滅んでいった。エジプトのラー(太陽神)もバビロンのマルドゥク(月神)も今はいない。
-イザヤ46:1-2「ベルはかがみ込み、ネボは倒れ伏す。彼らの像は獣や家畜に負わされ、お前たちの担いでいたものは重荷となって、疲れた動物に負わされる。彼らも共にかがみ込み、倒れ伏す。その重荷を救い出すことはできず、彼ら自身も捕らわれて行く」。
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