すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  イザヤ書  >  2009年2月26日祈祷会(イザヤ30章18-33節、苦難の後の救い)
1.イスラエルの苦難と救い

・イザヤ30章前半では紀元前701年前後のアッシリアとの戦いでエジプト軍の支援を求めるユダの愚かさが預言される。30章後半ではアッシリアの滅亡が述べられる。私たちはこの箇所をアッシリア軍敗走後の預言と考えて釈義する。
・ユダ王ヒゼキヤはアッシリアに反乱を起こし、アッシリア軍はユダの町々を攻略し、今はエルサレムを包囲し、降伏か死を選べと迫る。彼らは自分たちの武力を誇り、主なる神をないがしろにする言動を繰り返す。
-列王記下18:28-35「ヒゼキヤはお前たちに、主が必ず我々を救い出してくださる、この都がアッシリアの王の手に渡されることはない、と言って、主に依り頼ませようとするが、そうさせてはならない。・・・国々のすべての神々のうち、どの神が自分の国を私の手から救い出したか。それでも主はエルサレムを私の手から救い出すと言うのか』」。
・その言葉を聞いてヒゼキヤはイザヤの預言を求めた。イザヤは「アッシリアを恐れるな。主が戦われる」と述べる。
-列王記下19:6-7「アッシリアの王の従者たちが私を冒涜する言葉を聞いても、恐れてはならない。見よ、私は彼の中に霊を送り、彼がうわさを聞いて自分の地に引き返すようにする。彼はその地で剣にかけられて倒される」」。
・歴史は神の手が働き、アッシリア軍が敗走したことを伝える。疫病が発生したと伝えられている。
-列王記下19:35-36「その夜、主の御使いが現れ、アッシリアの陣営で十八万五千人を撃った。朝早く起きてみると、彼らは皆死体となっていた。アッシリアの王センナケリブは、そこをたって帰って行き、ニネベに落ち着いた」。
・イザヤの後継者たちはこの出来事を、「主の救い」として讃美した。
-イザヤ30:18-20「シオンの民、エルサレムに住む者よ、もはや泣くことはない。主はあなたの呼ぶ声に答えて必ず恵みを与えられる。主がそれを聞いて、直ちに答えてくださる。わが主はあなたたちに、災いのパンと苦しみの水を与えられた。あなたを導かれる方はもはや隠れておられることなく、あなたの目は常にあなたを導かれる方を見る」。
・ユダは危機を脱したが、アッシリア侵攻の傷跡は深い。多くの人が殺され、田畑は荒らされ、飢餓が迫っていた。
-イザヤ1:7-9「お前たちの地は荒廃し、町々は焼き払われ、田畑の実りは、お前たちの目の前で異国の民が食い尽くし、異国の民に覆されて、荒廃している。・・・もし、万軍の主が私たちのために、わずかでも生存者を残されなかったなら、私たちはソドムのようになり、ゴモラに似たものとなっていたであろう」。
・しかし主は全てを回復される。民の傷は癒され、食物も与えられると預言者は歌う。
-イザヤ30:23-26「主は、あなたが地に蒔く種に雨を与えられる。地の産み出す穀物は豊かに実る。その日にはあなたの家畜は広い牧場で草をはみ、地を耕す牛やろばは、ふるいや箕でえり分け、発酵させた飼葉を食べる。・・・主が民の傷を包み、重い打ち傷をいやされる日、月の光は太陽の光になり、太陽の光は七倍になり七つの日の光となる」。

2. アッシリアへの審判

・イザヤ30章27節以下はアッシリア滅亡の様子を示す。「彼はその地で剣にかけられて倒される」とイザヤは預言した。アッシリアは紀元前612年にバビロンにより滅ぼされた。この出来事をイザヤの後継者たちは預言の成就と見た。
-イザヤ30:30-32「主は威厳ある声を聞かせ、荒れ狂う怒り、焼き尽くす火の炎、打ちつける雨と石のような雹と共に、御腕を振り下ろし、それを示される。主がその鞭をもって打たれるとき、アッシリアは主の声のゆえにおののく。 主が彼に下そうと定められた、杭の一打ちごとに、太鼓と竪琴が鳴らされ、主は御腕を振るって彼らと戦われる」。
・イザヤは「立ち返って静かにしていれば救われる」と言った。それにもかかわらず、私たちは動揺し、うろたえる。だから私たちに「災いのパン」と「苦しみの水」が与えられる。国の滅亡という出来事さえ、呪いでは無く祝福だ。
-エレミヤ29:10-11「主はこう言われる。バビロンに七十年の時が満ちたなら、私はあなたたちを顧みる。私は恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す。私は、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである」。
・試練は祝福なのだ。苦しみの中で始めて人は主の愛を知る。だから出エジプトの民は、歩けば10日の道のりを40年間もさまよう。さまよった結果、主に生かされていることを知った。
-申命記8:2-7「あなたの神、主が導かれたこの四十年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。こうして主はあなたを苦しめて試し、あなたの心にあること、すなわち御自分の戒めを守るかどうかを知ろうとされた。主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。・・この四十年の間、あなたのまとう着物は古びず、足がはれることもなかった。あなたは、人が自分の子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを心に留めなさい。・・・あなたの神、主はあなたを良い土地に導き入れようとしておられる」。
・私たちは自分で生きているのではなく、主に生かされている。このことを知った時、出来事の意味は変わってくる。
-申命記8:17-18「あなたは、自分の力と手の働きで、この富を築いたなどと考えてはならない。・・・富を築く力をあなたに与えられたのは主であり、主が先祖に誓われた契約を果たして、今日のようにしてくださったのである」。
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