すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  イザヤ書  >  2009年2月5日祈祷会(イザヤ29章1−14節、神の視点から歴史を見る)
1.神の視点から歴史を見る

・イザヤは前746年に召命され、以後50年にわたって預言を行った。彼の時代、東のアッシリアと西のエジプトが覇権を争い、イスラエルは大国の間を右往左往する。その中で預言者は「歴史を人間の側からではなく神の側から見た」(M.ノート)。その結果、歴史は神の審判の歴史になり、アッシリアは「イスラエルを懲らしめる神の鞭」(イザヤ10:5)、バビロン王は「神の僕」(エレミヤ27:6)、ペルシャ王が「主の油注がれた人」となる(イザヤ45:1)。
・しかし、人は「歴史を人間の側から見る」故に、イザヤの言葉に聞き従おうとはしない。前705年イスラエルはアッシリア王死去に乗じて、エジプトと同盟を結び、反アッシリアの反乱を起こす。イザヤはエジプトとの同盟は「死の契約」(28:15)として諌めるが、人は聞かない。ここに至り、イザヤはエルサレム滅亡の預言を行う。
−イザヤ29:1-2「ああ、アリエルよ、アリエルよ、ダビデが陣を張った都よ。年毎に、祭りの数を増し、巡り来らせよ。そのとき、私はアリエルを苦しめる。アリエルには嘆きと、ため息が臨み、祭壇の炉(アリエル)のようになる」。
・エルサレムを建てられた主が、「私が住む」といわれたエルサレムを攻められる。その時、エルサレムの町は祭壇の炉(アリエル)で焼かれ、住民は犠牲の羊のように火あぶりにされるとイザヤは預言する。
−イザヤ29:3-4「私はお前を囲んで陣を張り、砦を築き、城壁を建てる。お前は倒されて地の下から語り、お前の言葉は塵の下から鈍く響く。亡霊のようなお前の声は地の下から聞こえ、お前の言葉は塵の下からかすかに響く」。
・29章5節以下はエルサレムの危機(アッシリア軍による包囲とその突然の撤退)が去った後、その当時を回顧した弟子たちの言葉が編集されている。主はエルサレムを滅ぼすと言われたが、憐れみにより破壊を猶予された。
-イザヤ29:5-8「群がる外敵は砂塵のようになり、群がる暴虐の者らは、吹き去られるもみ殻のようになる。そのことは突然、瞬く間に起こる。万軍の主によってお前は顧みられる。雷鳴、地震、大音響と共につむじ風、嵐、焼き尽くす炎のうちに・・・シオンの山に群がって戦いを挑んだ国はすべてこのようになる」。
・イスラエルはイザヤを通して語られた主の言葉を聞かない。御言葉を聞いても無視し続ける者に主は言葉を隠される。預言者の言葉は封印され、誰も読むことの出来ない書物のようになる。
-イザヤ29:9-12「ためらえ、立ちすくめ。目をふさげ、そして見えなくなれ。酔っているが、ぶどう酒のゆえではない。よろめいているが、濃い酒のゆえではない。主はお前たちに深い眠りの霊を注ぎ、お前たちの目である預言者の目を閉ざし、頭である先見者を覆われた。すべての幻は、お前たちにとって封じられた書物の中の言葉のようだ」。

2.後世の人はイザヤをどのように聞くのか

・民は「アッシリアから救ってください」と祈るが、それに応えたイザヤの言葉に聞こうとしない。それは「唇では主を敬うが、心は離れていることではないか」とイザヤは批判する。口先だけの祈りは何の意味も無い。
-イザヤ29:13「主は言われた『この民は、口で私に近づき、唇で私を敬うが、心は私から遠く離れている。彼らが私を畏れ敬うとしても、それは人間の戒めを覚え込んだからだ』。
・イエスは祈りや礼拝を熱心に行っても、心から神に従おうとしないパリサイ人を批判してこのイザヤの言葉を引用されている。封印されたイザヤの言葉がイエスによって再び開かれている。
-マルコ7:6-7「イザヤは、あなたたちのような偽善者のことを見事に預言したものだ。彼はこう書いている“この民は口先では私を敬うが、その心は私から遠く離れている。人間の戒めを教えとして教え、むなしく私をあがめている”」。
・しかし神はその民との関係を断たれない。神は再び彼らに対して驚くべきことを行う。前701年エルサレムを包囲していたアッシリア軍は突然陣を解いて帰国した。列王記は主がアッシリアを撃たれたと記述する(下19:35-36)。
-イザヤ29:14「それゆえ、見よ、私は再び、驚くべき業を重ねて、この民を驚かす。賢者の知恵は滅び、聡明な者の分別は隠される」。
・パウロは民の不信にもかかわらず神は御子イエスを世に遣わし、御子の血を持って世を贖われたことを「驚くべき業」と表現する。イザヤの言葉は彼が生きている時は目に見える形では実現しなかった。しかし彼は「隅の石」(28:16)に希望を残し、その希望は成就した。
-汽灰螢鵐1:18-21「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、私たち救われる者には神の力です。それは、こう書いてあるからです『私は知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さを意味のないものにする』。・・・世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです」。
・神の視点から歴史を見た時、歴史は変わる。イエスが9.11の現場に立たれた時、「さあ復讐しよう」としてアフガンやイラク攻撃を決意されるだろうか。日米安保は「死の契約」にならないだろうか。原爆や劣化ウラン弾等を開発し続ける人間の知恵をどう見られるだろうか。イザヤの預言は今も生きて働いているのではないか。
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