すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  イザヤ書  >  2008年11月13日祈祷会(イザヤ18章、同盟ではなく主に頼れ)
1.クシュ(エチオピア・エジプト)の動きに目をくらまされるな

・パレスチナ諸国はアッシリア制圧下で、重い賦役にあえいでいた。その時、エジプトにクシュ人(エチオピア)の王国(第25朝)が成立した。エチオピア・エジプト連合国は一大勢力となり、アッシリアから諸国を解放してくれるとの希望が生まれ、諸国はエチオピア・エジプトを後ろ盾とする反アッシリア同盟を結成し、使者をエジプトに送った。
−イザヤ18:1-2「災いだ、遠くクシュの川のかなたで、羽の音を立てている国は。彼らは、パピルスの舟を水に浮かべ、海を渡って使節を遣わす。行け、足の速い使者たちよ。背高く、肌の滑らかな国、遠くの地でも恐れられている民へ。強い力で踏みにじる国、幾筋もの川で区切られている国へ」。
・同盟の中心になったのはペリシテのアシドトだった。前714年、ペリシテ、ユダ、モアブ、エドムの諸国はエジプトの援軍を当てにしてアッシリアへの反乱を起こした。合図の旗、角笛、戦いの始まりである。
−イザヤ18:3「世界の住民、地上に住むすべての人よ。山に合図の旗が立てられたら、見るがよい。角笛が吹き鳴らされたら、聞くがよい」。
・イザヤはユダがこの同盟に加わるのを反対した。世界は主の支配下にあり、アッシリアは主の器として世界帝国になっている。今アッシリアに反乱を起すのは主に逆らうことだ。主は私に言われた「慌てふためくな」と。
−イザヤ18:4「主は私にこう言われた『私は黙して私の住む所から、目を注ごう。太陽よりも烈しく輝く熱のように、暑い刈り入れ時を脅かす雨雲のように』」。
・イザヤは非戦を訴えて具体行動を起こす。反乱に加われば国は滅びることを示すため、裸になって町を歩く。当時の国民から見れば、イザヤの行為は祖国の解放戦争に反対する行動であり、イザヤは非国民と言われた。
−イザヤ20:1-5「主はイザヤを通して命じられた『腰から粗布を取り去り、足から履物を脱いで歩け』。彼はその通りにして、裸、裸足で歩き回った。主は言われた『私の僕イザヤが、エジプトとクシュに対するしるしと前兆として、裸、裸足で三年間歩き回ったように、アッシリアの王はエジプトの捕虜とクシュの捕囚を引いて行く。・・・ 彼らは自分たちの望みをかけていたクシュのゆえに、誇りとしていたエジプトのゆえに、恐れと恥をこうむるであろう』」。
・アッシリア王サルゴンは軍を派遣してパレスチナの国々を制圧し、エジプトは援軍を送らなかった。パレスチナの小国は猛禽、野の獣であるアッシリアの餌食になった。
−イザヤ18:5-6「刈り入れ時の前に、花が終わり、花の房が実となり、熟し始めると、主は枝を刃物で切り落とし、つるを折り、取り去られる。それはすべて、山の猛禽と野の獣に与えられる。猛禽は、それを餌として夏を過ごし、野獣もすべて、それを餌として冬を過ごす」。

2.静かにして恐れるな

・イザヤは絶対非戦の立場を取り続けてきた。彼の非戦論は空想的なユートピアではない。世界政治の動向を冷静に判断した上で、そこに神の歴史支配を洞察している。彼は繰り返し言う「静かにして恐れるな」と。
-イザヤ30:15「まことに、イスラエルの聖なる方、わが主なる神は、こう言われた『お前たちは、立ち帰って、静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある』と」。
・前730年代、シリア・エフライム戦争で動揺するアハズ王にイザヤは言う「主を信じよ、主のしるしを求めよ」と。
-イザヤ7:9-11「信じなければ、あなたがたは確かにされない。・・・主なるあなたの神に、しるしを求めよ。深く陰府の方に、あるいは高く天の方に」
・アハズ王はこれを拒絶し、イザヤは公の活動を停止し、預言を封印し、弟子たちの教育に専念する。
-イザヤ8:16-17「私は弟子たちと共に証しの書を守り、教えを封じておこう。私は主を待ち望む。主は御顔をヤコブの家に隠しておられるが、なお私は、彼に望みをかける」。
・今またイザヤはヒゼキヤ王の助言者として再び活動を開始する。
-イザヤ37:5-7「ヒゼキヤ王の家臣たちがイザヤのもとに来ると、イザヤは言った『主なる神はこう言われる。あなたはアッシリアの王の従者たちが私を冒涜する言葉を聞いても、恐れてはならない。見よ、私は彼の中に霊を送り、彼がうわさを聞いて自分の地に引き返すようにする。彼はその地で剣にかけられて倒される』」
・アッシリアもエジプトも主に用いられる器に過ぎない。何故器を恐れるのか、恐るべきは主ではないか。
-イザヤ10:12「主はシオンの山とエルサレムに対する御業をすべて成就されるとき、アッシリアの王の驕った心の結ぶ実、高ぶる目の輝きを罰せられる」。
・彼が見たのは現実の世界の先にある主の御心だった。私たちは今の現実の中でこの言葉をどのように聞くのか。
-イザヤ11: 9「私の聖なる山においては、何ものも害を加えず、滅ぼすこともない。水が海を覆っているように、大地は主を知る知識で満たされる」。
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