すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  イザヤ書  >  2008年11月6日祈祷会(イザヤ17章、ダマスコとイスラエルの滅びの預言)
1.ダマスコ滅亡の預言

・イザヤ13章〜23章は諸国民への託宣、17章はダマスコとイスラエルの運命を中心に預言が編集されている。預言の背景は前733−732年のシリア・エフライム戦争だ。ダマスコ(シリア)はイスラエル(エフライム)と結んで反アッシリア同盟を結び、同盟参加を拒否したユダを攻めた。ユダはアッシリアの援軍を求め、アッシリアの大軍がパレスチナに侵攻し、ダマスコは滅ぼされ、イスラエルは領土の大半を奪われた。
−イザヤ17:1-3「ダマスコについての託宣。『見よ、ダマスコは都の面影を失い、瓦礫の山となる。アロエルの町々は見捨てられ、家畜の群れが伏し、脅かすものもない。エフライムからは砦が、ダマスコからは王権が絶える。アラムに残るものは、イスラエルの人々の栄光のようになる』と万軍の主は言われる」。
・イスラエルはダマスコのように滅ぼされはしなかった。しかし領地の大半は奪われ、10年後の前722年にはアッシリアの再征服を受けて滅び、住民はアッシリアに捕囚される。
−イザヤ17:4-6「『その日が来れば、ヤコブの力は弱まり、その肥えた肉はやせ衰える。刈り入れる者の集めた立ち枯れの穂、その腕に集めた落ち穂、レファイムの谷で拾った落ち穂のようになる。摘み残りしかないのに、オリーブの木を打つようなものだ。梢の方に二つ三つの実、豊かに実っている枝でも、四つ五つ』と主は言われる」。
・イスラエルは徹底的に裁かれる。彼が主に頼らず、シリアに頼って、兄弟ユダを攻めたからだ。
−イザヤ17:9-11「その日には、彼らの砦の町々は、イスラエルの人々によって見捨てられた木の枝や梢のように、捨てられて廃虚となる。お前は救い主である神を忘れ去り、砦と頼む岩を心に留めていない。それなら、お前の好む神々にささげる園を造り、異教の神にささげるぶどうの枝を根付かせてみよ。ある日、園を造り、成長させ、ある朝、種を蒔き、芽生えさせてみても、ある日、病といやし難い痛みが臨み、収穫は消えうせる」。
・徹底的に裁かれた者は、その裁きを通して自己の罪を知り、悔い改める。裁きは回心を求める主の鞭だ。裁かれ、砕かれて初めて人は自分が被造物に過ぎないことを知る。その時、自分が依り頼む偶像の愚かさを知る。
−イザヤ17:7-8「その日には、人は造り主を仰ぎ、その目をイスラエルの聖なる方に注ぐ。もはや、自分の手が作り、自分の指が作った祭壇を仰ぐことなく、アシェラの柱や香炉台を見ようとはしない」。

2.アッシリア滅亡の預言

・12節から、預言の舞台は前701年のアッシリアのユダからの敗退に移る。ダマスコやイスラエルを滅ぼしたアッシリアはユダを征服するためにエルサレムを囲んだが、突然に兵を引き揚げた。諸国民のどよめきの中を進軍したアッシリアの大軍が、主に叱責され逃げ帰ったと預言者は笑う。
−イザヤ17:12-14「災いだ、多くの民がどよめく、どよめく海のどよめきのように。国々が騒ぎ立つ、騒ぎ立つ大水の騒ぎのように。国々は、多くの水が騒ぐように騒ぎ立つ。だが、主が叱咤されると彼らは遠くへ逃げる。山の上で、もみ殻が大風に、枯れ葉がつむじ風に追われるように。夕べには、見よ、破滅が襲い、夜の明ける前に消えうせる。これが我々を略奪する者の受ける分、我々を強奪する者の運命だ」。
・歴史書である列王記は疫病の発生によりアッシリア軍は軍を引いたと記述する。
−粁鷁Φ19:35-36「その夜、主の御使いが現れ、アッシリアの陣営で十八万五千人を撃った。朝早く起きてみると、彼らは皆死体となっていた。アッシリアの王センナケリブは、そこをたって帰って行き、ニネベに落ち着いた」。
・アッシリアはこれを機に国力が衰退し、やがてメディアやバビロニアが勃興し、滅ぼされる。預言者はこの出来事もまた、主が奢ったアッシリアを撃たれたのだと理解する。イスラエルの衰退預言はアッシリアの滅亡で完結する。
−イザヤ10:15-16「斧がそれを振るう者に対して自分を誇り、のこぎりがそれを使う者に向かって高ぶることができるだろうか。それは、鞭が自分を振り上げる者を動かし、杖が木でない者を持ち上げようとするに等しい。それゆえ、万軍の主なる神は、太った者の中に衰弱を送り、主の栄光の下に炎を燃え上がらせ、火のように燃えさせられる」。
・アメリカで起こった金融危機は、アフガンやイラクを征服し、奢ったアメリカに対して、主が送られた鞭ではないだろうか。私たちはアメリカに追随するのではなく、アメリカに対して、主の平和の福音を宣べ伝える必要がある。
−イザヤ2:4「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」。
・そのためには、私たちがこの平和の福音を先取りして生きる必要がある。アメリカはテロ攻撃に対して空爆で報いた。悪に対して悪を返した。私たちは、「燃え盛る薪」、良心を相手の心に置く生き方を選ぶ。
−ローマ12:20-21「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい」。
プリンタ用画面
友達に伝える
前
2008年10月30日祈祷会(イザヤ15−16章、モアブ滅亡の預言)
カテゴリートップ
イザヤ書
次
2008年11月13日祈祷会(イザヤ18章、同盟ではなく主に頼れ)