すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  イザヤ書  >  2008年10月23日祈祷会(イザヤ14章24-32節、現実政治の中に神の手を見る)
1.アッシリア滅亡の預言

・イザヤ書1-12章はアモツの子イザヤの預言であるが、13:1-14:23はバビロニア滅亡の預言であり、イザヤから100年後の後継者たちの預言が挿入されている。14:24から再びイザヤの預言に戻る。この箇所はイザヤ10:14に続くイザヤの預言の結語とされている。時代背景はアッシリアがエルサレムを囲んだ前701年前後であろう。
−イザヤ10:12-14「主はシオンの山とエルサレムに対する御業をすべて成就されるとき、アッシリアの王の驕った心の結ぶ実、高ぶる目の輝きを罰せられる。なぜならアッシリアの王は言った『自分の手の力によって私は行った。聡明な私は自分の知恵によって行った・・・私の手は、鳥の巣を奪うように、諸民族の富に伸びた。置き去られた卵をかき集めるように、私は全世界をかき集めた。そのとき、翼を動かす者はなく、くちばしを開いて鳴く者もなかった』」。
・主は奢るアッシリアを滅ぼすことを決意される。彼は主の鞭に過ぎないのに自分を神とするようになったからだ。
−イザヤ14:24-25「万軍の主は誓って言われる『私が計ることは必ず成り、私が定めることは必ず実現する。私の領土で、アッシリアを滅ぼし、私の山々で彼らを踏みにじる。その軛は、わが民から取り去られ、その重荷は、肩からはずされる』」。
・アッシリアの勢力がどれほど大きくとも、彼らがその役割(ユダに対する懲らしめ)を終えた時に、主はアッシリアを撃たれる。主の日が来ればそうなるとイザヤは歌う。
−イザヤ14:26-27「これこそ、全世界に対して定められた計画。すべての国に伸ばされた御手の業である。万軍の主が定められれば、誰がそれをとどめえよう。その御手が伸ばされれば、誰が引き戻しえよう」。
・預言通りにエルサレムを包囲していたアッシリアは打たれ、退却し、それを契機に衰退をし始める。
−イザヤ37:36-38「主の御使いが現れ、アッシリアの陣営で十八万五千人を撃った。朝早く起きてみると、彼らは皆死体となっていた。アッシリアの王センナケリブは、そこをたって帰って行き、ニネベに落ち着いた。彼が自分の神ニスロクの神殿で礼拝しているときに、二人の息子アドラメレクとサルエツェルが彼を剣にかけて殺した」。
・イザヤはアッシリアを「イスラエルを裁く主の鞭」と見て、エジプトやペリシテと共に反アッシリア同盟に走るイスラエルを戒めた。何故世界を支配される神に頼らないのか、何故エジプトの戦車に頼るのかとイザヤは言う。私たちは現実政治の中に神の手を見ているだろうか。アメリカ大統領リンカーンは政治の現実の中に神の手を見た。
−アブラハム・リンカーン“第二期大統領就任演説から”「(南北)両者とも同じ聖書を読み、同じ神に祈り、そして各々敵に打ち勝つため、神の助力を求めているが、彼らの祈りも私たちの祈りも、神はそのままには聞きとどけられなかった。どれだけ神に勝利を願っても、生きた神は北軍の味方でもなければ南軍の味方でもなく、そのことについて神の意志を知ることはできなない。どちらの勝利という問題ではなく、奴隷制という悪を如何に取り除くかが問題なのだ」。

2.ペリシテに対する警告

・14:28以下は前715年、アハズ王の死後のペリシテに対する託宣である。ペリシテとユダは反アッシリア同盟を結び、アッシリア王サルゴンに制圧されるが、そのサルゴンは前705年に死ぬ。ペリシテはアッシリアへ再度反乱を起こし、前701年に次の王センナケリブに滅ぼされる。
−イザヤ14:28-29「アハズ王の死んだ年のことである。この託宣が臨んだ。『ペリシテの民よ、だれも喜んではならない。お前を打った鞭が折られたからといって。蛇の根から蝮が出る。その子は炎のように飛び回る』」。
・お前を打った鞭=サルゴン2世が死んでも、新しい蝮=センアケリブがお前を打つであろうとイザヤは預言する。しかし、そのセンナケリブもエルサレムを撃つ事は出来ない。何故なら主が守られるからだ。
−イザヤ14:31-32「『ペリシテの民は、皆、おののけ。北から、砂煙を上げて来る者があるからだ。その隊列から落伍する者はひとりもない』。異国の使者たちに、何と答えるべきか『シオンの基を据えられたのは主である。苦しむ民は、そこに身を寄せる』と答えよ」。
・イザヤ書には多くの時代錯誤があり、編集上の加筆もある。それにもかかわらずイザヤ書は一貫したメッセージを伝える。それは世界を支配されるのはアッシリアではなく、主であるとの信仰である。私たちはアメリカ発の世界恐慌に怯える必要もない。アッシリアが滅んだように、アメリカも役割が終われば滅ぶ。それだけのことだ。
−イザヤ31:1-3「災いだ、助けを求めてエジプトに下り、馬を支えとする者は。彼らは戦車の数が多く、騎兵の数がおびただしいことを頼りとし、イスラエルの聖なる方を仰がず、主を尋ね求めようとしない。しかし、主は知恵に富む方。災いをもたらし、御言葉を無に帰されることはない。立って、災いをもたらす者の家、悪を行う者に味方する者を攻められる。エジプト人は人であって、神ではない。その馬は肉なるものにすぎず、霊ではない。主が御手を伸ばされると、助けを与える者はつまずき、助けを受けている者は倒れ、皆共に滅びる」。
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