すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  イザヤ書  >  2008年10月16日祈祷会(イザヤ14章、バビロンは何故滅んだのか)
1.バビロン審判の託宣

・イザヤ14章は13章を受けてバビロン滅亡の預言が続く。預言者は、主がバビロンを撃たれるゆえに、囚われの民が再びエルサレムに戻される幻を歌う。その時には勝利者は敗残の苦しみを見る。
−イザヤ14:1-2「まことに、主はヤコブを憐れみ、再びイスラエルを選び、彼らの土地に置いてくださる。寄留の民は彼らに加わり、ヤコブの家に結び付く。もろもろの民は、彼らをその土地に連れて来るが、イスラエルの家は、主の土地で、もろもろの民を男女の奴隷にして自分のものとする。かつて、彼らを捕囚とした者が、かえって彼らの捕囚となり、かつて、彼らを虐げた者が彼らに支配される」。
・預言者はバビロンの衰退、将来の滅亡を主の業として受け止めている。主は奢る者を砕かれる。
−イザヤ14:3-4「主が、あなたに負わせられた苦痛と悩みと厳しい労役から、あなたを解き放たれる日が来る。そのとき、あなたはバビロンの王に対して、この嘲りの歌をうたう。ああ、虐げる者は滅び、その抑圧は終わった」。
・暴虐の限りを尽くした支配者は砕かれる。かつて彼らは全地を過酷に支配したが、被支配者たちはバビロンの滅亡を喜ぶ。宮殿や神殿を造営するためにレバノン杉の森は破壊されたが、今はそれも止み、杉も喜びの声を上げる。
−イザヤ14:5-8「かつて、彼らは激怒して諸民族を撃ち、撃って、とどまることを知らなかった。また、怒って諸国民を支配し、仮借なく、踏みにじった。しかし今、全世界は安らかに憩い、喜びの声を放つ。糸杉もレバノン杉もお前のことで喜ぶ。『ついに、お前が倒れたから、もはや、切り倒す者が我々に向かって来ることはない』」。
・ここには滅ぼされた者の恨みがある。イスラエルもかつて徹底的に踏みにじられた(粁鷁Φ25:6-7参照)。バビロンの暴虐者は黄泉に降る。黄泉は独裁者を迎えて騒ぎ立つ。彼らは言う「かつてお前は天に昇ろうとしたが、黄泉に落とされ、お前の身体は蛆虫に蝕まれる」。
−イザヤ14:9-11「地下では、陰府が騒ぎを起こす、お前が来るのを迎えて。・・・彼らはこぞってお前を迎え、そして言う『お前も我々のように無力にされた。お前も我々と同じようになった。お前の高ぶりは、琴の響きと共に陰府に落ちた。蛆がお前の下に寝床となり虫がお前を覆う』」。

2.主は何故バビロンを滅ぼされたのか

・「主は何故バビロンを滅ぼされたのか、それは彼らが天に上り神になろうとしたからだ」と預言者はカナン神話を題材にして告発する。地上で権力を極めた者は必ず神になろうとする。ヒトラーはハイル・ヒトラー=ヒトラー万歳と自分を呼ばせ、ローマ皇帝アウグストゥスは主(キュリエ)と呼ばれた。
−イザヤ14:12-15「ああ、お前は天から落ちた。明けの明星、曙の子よ。お前は地に投げ落とされた、もろもろの国を倒した者よ。かつて、お前は心に思った『私は天に上り、王座を神の星よりも高く据え、神々の集う北の果ての山に座し、雲の頂に登って、いと高き者のようになろう』と。しかし、お前は陰府に落とされた、墓穴の底に」。
・黄泉に降ったバビロン王を見た人々は頭を振りながら言う「これが王の王と呼ばれた者の最後なのか」。
−イザヤ14:16-17「お前を見る者は、まじまじと見つめ、お前であることを知って、言う『これがかつて、地を騒がせ、国々を揺るがせ、世界を荒れ野とし、その町々を破壊し、捕らわれ人を解き放たず、故郷に帰らせなかった者か』」。
・人は死ねば墓に葬られるが、彼の遺体は墓の外に投げ捨てられる。神を畏れず自ら神になろうとしたからだ。
−イザヤ14:18-19「国々の王は皆、それぞれの墓に、礼を尽くして葬られる。しかし、お前は墓の外に投げ捨てられる・・・。剣で刺された者、殺された者に囲まれ、陰府の底まで下って行く、踏みつけられた死体のように」。
・彼らは残りの者も残されることなく、滅ぼしつくされる。その都は山あらしの巣になる。
−イザヤ14:22-23「『私は、彼らに立ち向かう・・・バビロンから、その名も、名残も、子孫も末裔も、すべて断ち滅ぼす・・・都を山あらしの住みか、沼地とし、滅びの箒で、掃き清める』と万軍の主は言われる」。
・これはかつてバビロンに国を滅ぼされた民の報復の歌なのだろうか。ただそれだけであれば神の言葉ではありえない。ここには選びの意味、何故イスラエルが選ばれたかの信仰がある。
−申命記7:6-8「主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、御自分の宝の民とされた。主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。・・・ただ、あなたに対する主の愛のゆえに・・・主は力ある御手をもってあなたたちを導き出し・・・救い出されたのである」。
・この言葉を今私たちも聞く。それを聞かなければイザヤ書を読む価値はないであろう。
−汽灰1:26-29「兄弟たち、あなたがたが召されたときのことを、思い起こしてみなさい。人間的に見て知恵のある者が多かったわけではなく、能力のある者や、家柄のよい者が多かったわけでもありません。・・・それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです」。
・イザヤ14:24以下は異なる時代の異なる預言であり、次回以降学ぶ。
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