すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.ダビデ軍が反乱軍に勝つ


・ダビデたちはマハナイムで態勢を整え、アブサロム軍を迎え撃つ準備をした。ダビデは配下の軍を三つに分け、自らも出陣の支度をした。部下たちはダビデの出陣を好ましくないと退けた。戦いの主眼は、ダビデと子アブサロムの王位をめぐる争いであり、ダビデが死ねば全軍が崩れる危険性がある。ダビデは部下たちの助言に従い、後方に残る。
―競汽爛┘18:3-4「兵士は言った『出陣なさってはいけません。我々が逃げ出したとしても彼らは気にも留めないでしょうし、我々の半数が戦死しても気にも留めないでしょう。しかしあなたは我々の一万人にも等しい方です。今は町にとどまり、町から我々を助けてくださる方がよいのです』。『私はお前たちの目に良いと映ることをしよう』と王は言って、町の城門の傍らに立ち、兵士は皆、百人隊、千人隊となって出て行った」。
・ダビデは出征する将軍たちに「息子アブサロムを殺すな」と命じる。
―競汽爛┘18:5「王はヨアブ、アビシャイ、イタイに命じた『若者アブサロムを手荒には扱わないでくれ』。兵士は皆、アブサロムについて王が将軍たち全員に命じるのを聞いていた」。
・戦いは一方的にダビデ軍の勝利に終わり、敵将アブサロムは逃走中に森の枝に絡まり、動けなくなる。
―競汽爛┘18:6-9「兵士たちはイスラエル軍と戦うために野に出て行った。戦いはエフライムの森で起こり、イスラエル軍はそこでダビデの家臣に敗れた。大敗北で、その日、二万人を失った。・・・アブサロムがダビデの家臣に出会ったとき、彼はらばに乗っていたが、らばが樫の大木のからまりあった枝の下を通ったので、頭がその木にひっかかり、彼は天と地の間に宙づりになった」。
・豊かな髪はアブサロムの誇りであったが、その髪がアブサロムの命取りになる。ダビデの部下たちはアブサロムを殺すことをためらうが、将軍ヨアブは躊躇せずアブサロムを殺す。彼が生きていればまた王国に災いが臨むからだ。
―競汽爛┘18:14-15「アブサロムは樫の木にひっかかったまま、まだ生きていた。ヨアブは棒を三本手に取り、アブサロムの心臓に突き刺した。ヨアブの武器を持つ従卒十人が取り囲んでアブサロムを打ち、とどめを刺した」。


2.息子の死を悼むダビデ


・「ダビデ軍が勝利したが、アブサロムは死んだ」との報告がダビデ王にもたらされた。ダビデはそれを聞くと、戦勝を喜ぶこともせずに、城門の上の部屋にこもり、息子の死を嘆いた。
―競汽爛┘19:1「ダビデは身を震わせ、城門の上の部屋に上って泣いた。彼は上りながらこう言った『私の息子アブサロムよ、私の息子よ。私の息子アブサロムよ、私がお前に代わって死ねばよかった。アブサロム、私の息子よ、私の息子よ』」。
・ダビデはバテシバと姦淫を犯したために、同じ姦淫を犯した長子アムノンを処罰することが出来なかった。そのことがアブサロムに復讐としての兄殺しをさせた。そのアブサロムをダビデは赦すことが出来ず、アブサロムの反乱と死を招いた。自己の罪で二人の息子が死んだ。罪の結果は死なのである。彼は罪の実を刈り取らなければいけない。
―競汽爛┘12:13-14「ダビデはナタンに言った『私は主に罪を犯した』。ナタンはダビデに言った『その主があなたの罪を取り除かれる。あなたは死の罰を免れる。しかし、このようなことをして主を甚だしく軽んじたのだから、生まれてくるあなたの子は必ず死ぬ』」。
・しかし、同時に人は与えられた使命を果たさなければいけない。今、ダビデは王であり、自分のために命をかけて戦ってくれた将兵の労に報いることが必要だ。将軍ヨアブはそのことをダビデに説いた。
―競汽爛┘19:3-7「その日兵士たちは、王が息子を思って悲しんでいることを知った。すべての兵士にとって、その日の勝利は喪に変わった。その日兵士たちは、戦場を脱走して来たことを恥じる兵士が忍び込むようにして、こっそりと町に入った。王は顔を覆い、大声で叫んでいた・・・ヨアブは屋内の王のもとに行き、言った『王は今日、王のお命、王子、王女たちの命、王妃、側女たちの命を救ったあなたの家臣全員の顔を恥にさらされました。あなたを憎む者を愛し、あなたを愛する者を憎まれるのですか。・・・とにかく立って外に出、家臣の心に語りかけてください。主に誓って言いますが、出て来られなければ、今夜あなたと共に過ごす者は一人もいないでしょう』」。
・ダビデは兵を迎えるために、城門に来た。王は王としての務めを果たさなければいけないからだ。神は義なる方ゆえに罪を犯す者を撃たれる。しかし、その審きは殺すためではなく、生かすためだ。そのことを私たちが知った時に、私たちは不当な苦難や意味の見えない悲しみをも、神の愛として受け入れていく。審きは人を生かすためにある。
―エゼキエル18:30-32「それゆえ、イスラエルの家よ。私はお前たち一人一人をその道に従って裁く、と主なる神は言われる。悔い改めて、お前たちのすべての背きから立ち帰れ。罪がお前たちをつまずかせないようにせよ。お前たちが犯したあらゆる背きを投げ捨てて、新しい心と新しい霊を造り出せ。イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。私は誰の死をも喜ばない。お前たちは立ち帰って、生きよと主なる神は言われる」。
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