すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.ダビデに家を建てるとの主の約束


・ダビデは王宮を建てて住んだが、神の箱は天幕の中に仮安置されたままだった。ダビデは主に対する感謝を示すために、主のために神殿を造ろうとし、預言者ナタンも同意する。
―競汽爛┘7:1-3「王は王宮に住むようになり、主は周囲の敵をすべて退けて彼に安らぎをお与えになった。王は預言者ナタンに言った『見なさい。私はレバノン杉の家に住んでいるが、神の箱は天幕を張った中に置いたままだ』」。
・しかし、主は神殿など要らないと言われた。主は人の造った神殿になど住まわれない。
―競汽爛┘7:4-7「私の僕ダビデのもとに行って告げよ。・・・あなたが私のために住むべき家を建てようというのか。私はイスラエルの子らをエジプトから導き上った日から今日に至るまで、家に住まず、天幕・・・を住みかとして歩んできた。私はイスラエルの子らと常に共に歩んできたが、その間、私の民イスラエルを牧するようにと命じたイスラエルの部族の一つにでも、何故私のためにレバノン杉の家を建てないのか、と言ったことがあろうか』」。
・自分のために神殿を建てることを主は拒まれたが、主に感謝の思いを捧げたいと願うダビデのために、家を建てようと言われる。人が神のために家を建てるのではなく、神が人のために家を建てられる。
―競汽爛┘7:11-13「敵を私が全て退けて、あなたに安らぎを与える。主はあなたに告げる。主があなたのために家を興す。あなたが生涯を終え、先祖と共に眠るとき、あなたの身から出る子孫に跡を継がせ、その王国を揺るぎないものとする。この者が私の名のために家を建て、私は彼の王国の王座をとこしえに堅く据える」。
・ダビデは恵みの上に恵みを下さる主に感謝し、天幕に入り、祈りを捧げる。
―競汽爛┘7:25-29「主なる神よ、今この僕とその家について賜った御言葉をとこしえに守り、御言葉のとおりになさってください。・・・御名が、とこしえにあがめられますように。僕ダビデの家が御前に堅く据えられますように。・・・あなたは僕の耳を開き、『あなたのために家を建てる』と言われました。それゆえ、僕はこの祈りをささげる勇気を得ました。・・・どうか今、僕の家を祝福し、とこしえに御前に永らえさせてください」。


2.神殿とは何か


・主の祝福がダビデ王家に続き、王国はソロモンの時代に繁栄の絶頂を迎える。ソロモンは主のために神殿を造り、そこに神の箱を納めるが、主は人の造った神殿には住まわれないことを知る謙虚さは持っていた。
―砧鷁Φ8:27「神は果たして地上にお住まいになるでしょうか。天も、天の天もあなたをお納めすることができません。私が建てたこの神殿など、なおふさわしくありません」。
・しかし、時代が経つに従い、神殿が神聖化され、神殿さえあれば、イスラエルは安泰だと人々は思い始める。預言者エレミヤは大事なのは神殿ではなく、主の御心を行うことだと預言し、神殿侮辱罪で捕らえられる。
―エレミヤ26:4-9「主はこう言われる『お前たちが私に聞き従わず、私が与えた律法に従って歩まず・・・預言者たちの言葉に聞き従わないならば、私はこの神殿をシロのようにし、この都を地上のすべての国々の呪いの的とする』・・・祭司と預言者たちと民のすべては彼を捕らえて言った「あなたは死刑に処せられねばならない。なぜ、あなたは主の名によって預言し、この神殿はシロのようになりこの都は荒れ果てて住む者もなくなると言ったのか」。
・イエスが迫害され、殺された直接の理由も、イエスが神殿崩壊を予言されたからだ。
―マルコ13:1-2「イエスが神殿の境内を出て行かれるとき、弟子の一人が言った『先生、御覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう』。イエスは言われた『これらの大きな建物を見ているのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残ることはない』。
―マルコ14:57-58「数人の者が立ち上がって、イエスに不利な偽証をした『この男が、私は人間の手で造ったこの神殿を打ち倒し、三日あれば、手で造らない別の神殿を建ててみせると言うのを、私たちは聞きました』」。
・エルサレム教会のステパノが殺された理由の一つも神殿批判だ。
―使徒言行録7:46-50「いと高き方は人の手で造ったようなものにはお住みになりません『主は言われる。天は私の王座、地は私の足台。お前たちは、私にどんな家を建ててくれると言うのか。私の憩う場所はどこにあるのか。これらはすべて、私の手が造ったものではないか』」。
・神殿における神礼拝は偶像礼拝になる。戦争に負けて神殿を焼かれたイスラエルは、バビロンの地に流されて、初めてそれを知った。偶像は人の手が造ったものであり、神殿もまたそうだ。それは拝む対象ではない。日本は首都の中心に靖国神社や明治神宮を持つ。日本人はまだ偶像崇拝を克服していない。
―イザヤ44:12-17「木工は寸法を計り、石筆で図を描き、のみで削り・・・人の形に似せ、人間の美しさに似せて作り、神殿に置く。・・・木材の半分を燃やして火にし、肉を食べようとしてその半分の上であぶり・・・残りの木で神を、自分のための偶像を造り、ひれ伏して拝み、祈って言う『お救いください、あなたは私の神』と」。
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