すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.仇敵アブネルの死


・サウル家の実権を握ったのは、軍を掌握するアブネルだった。アブネルはサウル王の側女を自分のものにした。イシュ・ボシェト王が彼をとがめると、アブネルは怒り、王国をダビデに渡すと威嚇する。
―競汽爛┘3:7-10「ある日イシュ・ボシェトはアブネルに『何故父の側女と通じたのか』と言った。アブネルはイシュ・ボシェトの言葉に激しく怒って言った『私をユダの犬どもの頭とでも言われるのですか。今日まで私は、あなたの父上サウルの家とその兄弟、友人たちに忠実に仕えてきました。あなたをダビデの手に渡すこともしませんでした。それを今、あの女のことで私を罪に問おうとなさる。・・・私は王権をサウルの家から移し、ダビデの王座をダンからベエル・シェバに至るイスラエルとユダの上に打ち立てる』」。
・アブネルはダビデとの和解交渉を始め、ダビデはサウルの娘ミカルを連れてくる事を条件に和解を受け入れる。
―競汽爛┘3:12-13「アブネルはダビデのもとに使者を送って言った『この地を誰のものと思われますか。私と契約を結べば、あなたの味方となって全イスラエルがあなたにつくように計らいましょう』。ダビデは答えた『よろしい、契約を結ぼう。ただし、・・・会いに来るときは、サウルの娘ミカルを必ず連れて来るように』」。
・ミカルはダビデの妻であったが、今は他の男に嫁いでいる。サウルの娘がダビデの元に戻れば、ダビデは正当な王位継承者となる。アブネルは和解契約を結ぶが、帰途、ダビデの将軍ヨアブによりだまし討ちで殺される。
―競汽爛┘3:26-27「ヨアブはダビデのもとを引き下がるとアブネルを追って使いを出した。使いはボル・シラからアブネルを連れ戻した。ダビデはそのことを知らなかった。アブネルがヘブロンに戻ると、ヨアブは静かなところで話したいと言って城門の中に誘い込み、その場でアブネルの下腹を突いて殺し弟アサエルの血に報いた」。
・ダビデはアブネルを丁重に葬る。アブネルの死はダビデには吉報だった。しかし、ダビデはそれを喜ばない。
―競汽爛┘3:31-32「ダビデは、ヨアブとヨアブの率いる兵士全員に向かって『衣服を裂き、粗布をまとい、悼み悲しんでアブネルの前を進め』と命じ、ダビデ王自身はアブネルのひつぎの後に従った。一同はアブネルをヘブロンに葬った。王はその墓に向かって声をあげて泣き、兵士も皆泣いた」。


2.競合者イシュ・ボシェトの死


・アブネルの死はサウル家を支持するイスラエル諸部族に脅威を与えた。サウル家に仕えていた二人の軍人は王イシュ・ボシェトを殺害し、その首をダビデの下に持参する。
―競汽爛┘4:5-8「レカブとその兄弟バアナは・・・イシュ・ボシェトが寝室の寝床に横たわっていたので、突き刺して殺し、首をはねた。彼らはその首を携えて・・・ヘブロンのダビデのもとに、その首を持参した」。
・イシュ・ボシェトの死もダビデには吉報のはずであった。しかし、ダビデはこの死を喜ばず、イシュ・ボシェトを殺害した二人を処刑した。
―競汽爛┘4:9-11「あらゆる苦難から私の命を救われた主は生きておられる。かつてサウルの死を私に告げた者は、自分では良い知らせをもたらしたつもりであった。だが、私はその者を捕らえ、ツィクラグで処刑した。それが彼の知らせへの報いであった。まして、自分の家の寝床で休んでいた正しい人を、神に逆らう者が殺したのだ。その流血の罪をお前たちの手に問わずにいられようか。お前たちを地上から除き去らずにいられようか」。
・アブネルの死は弟を殺されたヨアブの復讐により、イシュ・ボシェトの死は報償目的の軍人によって為された。ダビデは自らの手を血で汚すことなく、全イスラエルの王となる。神は殺人という犯罪行為すらも、より遠大な計画の道具として用いられる。二人の殺人者の言葉がそれを示す。
―競汽爛┘4:8「二人は王に言った『御覧ください。お命をねらっていた、王の敵サウルの子イシュ・ボシェトの首です。主は、主君、王のために、サウルとその子孫に報復されました』」。
・イスカリオテのユダもそうだ。彼はイエスを祭司長たちに売り渡して裏切った。しかし、この裏切りを通して、世界の救いという神のご計画がなっていく。神の思いは私たち超えている。それを信頼していくのが信仰だ。
―イザヤ55:8-11「私の思いは、あなたたちの思いと異なり、私の道はあなたたちの道と異なる・・・天が地を高く超えているように、私の道は、あなたたちの道を、私の思いはあなたたちの思いを、高く超えている・・・私の口から出る私の言葉も、空しくは私の元に戻らない。私の望むことを成し遂げ、私が与えた使命を必ず果たす」。
・神の経綸に信頼するゆえに、自らの手で悪を除こうとはしない。守りを自ら行おうとする時、人は間違う。
―イザヤ31:1-3「災いだ、助けを求めてエジプトに下り、馬を支えとする者は。彼らは戦車の数が多く、騎兵の数がおびただしいことを頼りとし、イスラエルの聖なる方を仰がず、主を尋ね求めようとしない。・・・エジプト人は人であって、神ではない。その馬は肉なるものにすぎず、霊ではない。主が御手を伸ばされると助けを与える者はつまずき、助けを受けている者は倒れ、皆共に滅びる」。
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