1.ダビデがユダヤの王となる



・サウルの死を知ったダビデは、主の託宣を求め、ヘブロンを示されてその地に行った。彼はそこで油を注がれ、王になった。前はサムエルから選びの油を注がれ、今回は人々から受け入れのしるしとして油を注がれた。
―競汽爛┘2:1-4「ダビデは主に託宣を求めて言った『どこかユダの町に上るべきでしょうか』。主は言われた『上れ・・・ヘブロンへ』・・・ダビデは彼に従っていた兵をその家族と共に連れて上った。こうして彼らはヘブロンの町々に住んだ。ユダの人々はそこに来て、ダビデに油を注ぎ、ユダの家の王とした」。
・しかし、彼を受け入れたのは出身のユダ族のみであり、他の部族は依然サウル王家の支配下にあった。サウルの将軍アブネルはサウルの次男イシュ・ボシェトを立ててイスラエルの王にする。
―競汽爛┘2:8-9「サウルの軍の司令官、ネルの子アブネルは、サウルの子イシュ・ボシェトを擁立してマハナイムに移り、彼をギレアド、アシュル人、イズレエル、エフライム、ベニヤミン、即ち全イスラエルの王とした」。
・イスラエルはダビデ家とサウル家に分裂し、覇権を争い、小競り合いが続いた。その小競り合いがやがて戦闘となり、両軍に死者がでる。戦いはダビデ軍が優勢だった。
―競汽爛┘2:15-17「ベニヤミン族とサウルの子イシュ・ボシェトの側から十二人、ダビデの家臣からも十二人、同数の者が立って次々と出て行った。彼らはそれぞれ相手の頭をとらえ、剣を相手の脇腹に突き刺し、皆共に倒れた。・・・その日、激しい戦いが続き、アブネルとイスラエルの兵がダビデの家臣に打ち負かされた」。
・戦いを指導したのは、サウルの将軍アブネルとダビデの将軍ヨアブだった。アブネルは戦いの中でヨアブの弟アサエルを殺し、両者は敵同士になり、やがてアブネルが殺され、サウル家は支柱を失って没落していく。
―競汽爛┘2:22-23「アブネルは重ねてアサエルに言った『追うのはやめてくれ。お前を地に打ち倒すわけにはいかない。お前の兄、ヨアブに顔向けできないではないか』。だがアサエルは頑として離れなかった。アブネルは槍の石突きでアサエルの下腹を突いた。槍は背中まで突き抜け、アサエルは倒れ、その場で死んだ」。
・ダビデが全イスラエルの王になるのは二年後、サウル家のアブネルやイシュ・ボシェトが死んでからである。ダビデはまだ待つ必要があった。
―競汽爛┘3:1「サウル王家とダビデ王家との戦いは長引いたが、ダビデはますます勢力を増し、サウルの家は次第に衰えていった」。


2.忍耐と主の導きへの信頼


・ダビデが王となるべく油を注がれたのは10代の時、彼が実際の王になったのは30代であり、20年の時が流れている。主の約束は必ず実現するが、長い時間が必要だ。私たちは約束の実現まで忍耐するべきことを教えられる。
―ローマ8:18-25「現在の苦しみは、将来私たちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないと私は思います。・・・見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。私たちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです」。
・ダビデはユダの王になった後も、敵対するイスラエル王イシュ・ボシェトを攻めようとはしなかった。サウルを殺す機会が与えられても殺さなかったのと同じだ。彼は主の約束を自分の力や策略で実現しようとはしなかった。「主は生きておられる」、この言葉の中にダビデの信仰がある。
―汽汽爛┘24:7「ダビデは兵に言った『私の主君であり、主が油を注がれた方に、私が手をかけ、このようなことをするのを、主は決して許されない。彼は主が油を注がれた方なのだ』」。
―汽汽爛┘25:33-34「あなたの判断はたたえられ、あなたもたたえられよ。私が流血の罪を犯し、自分の手で復讐することを止めてくれた。イスラエルの神、主は生きておられる。主は、私を引き止め、あなたを災いから守られた」。
・主は生きておられる。だから私たちは全てを主に委ね、主の言葉を聞きながら生きる。それが「主の託宣を求める」生き方だ。御言葉に聞き、従っていく。その御言葉を聞くために、私たちは毎主日、教会に集められる。
―詩篇119:105-112「あなたの御言葉は、私の道の光、私の歩みを照らす灯。・・・あなたの定めはとこしえに私の嗣業です。それは私の心の喜びです。あなたの掟を行うことに心を傾け、私はとこしえに従って行きます」。
―ヤコブ1:22-25「御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。・・・自由をもたらす完全な律法を一心に見つめ、これを守る人は、聞いて忘れてしまう人ではなく、行う人です。このような人は、その行いによって幸せになります」。