すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.嫉妬が憎悪となり、憎悪が殺意となる


・サウルはペリシテ人との戦闘の中でダビデを殺そうとしたが、失敗する。そこにはまだダビデを殺すことへのためらいと罪意識があった。しかし、今は憎悪をむき出しにして、部下にダビデ殺害を命じる。
―汽汽爛┘19:1「サウルは、息子のヨナタンと家臣の全員に、ダビデを殺すようにと命じた」。
・ダビデを守ったのが、サウルの息子ヨナタンであった。ヨナタンは「ダビデを殺すことは正しくない」と父をいさめ、サウルも一旦は悔い改め、「ダビデを殺さない」と約束する。
―汽汽爛┘19:4-6「ヨナタンは父サウルにダビデをかばって話した『王がその僕であるダビデのゆえに、罪を犯したりなさいませんように。彼は父上に対して罪を犯していないばかりか、大変お役に立っているのです。彼が自分の命をかけてあのペリシテ人を討ったから、主はイスラエルの全軍に大勝利をお与えになったのです。あなたはそれを見て、喜び祝われたではありませんか。なぜ、罪なき者の血を流し、理由もなくダビデを殺して、罪を犯そうとなさるのですか』。サウルはヨナタンの言葉を聞き入れて誓った『主は生きておられる。彼を殺しはしない』」。
・ダビデとサウルの和解が成立したが、ダビデの武功を見てサウルは再び嫉妬し、彼を殺そうとする。
―汽汽爛┘19:7-10「ダビデはこれまでどおりサウルに仕えることになった。戦いは続いて起こったが、ダビデはペリシテ人を討つために出陣し、大打撃を与えたので、彼らはダビデを恐れて逃げた。時に、主からの悪霊がサウルに降った。・・・サウルがダビデを壁に突き刺そうとねらったが、ダビデはサウルを避け、槍は壁に突き刺さった。ダビデは逃げ、その夜は難を免れた」。
・次の機会にサウルは自宅にいるダビデを殺そうとするが、妻ミカル(王の娘)の機転でダビデは命を救われる。
―汽汽爛┘19:11-12「ダビデの妻ミカルはダビデに言った『今夜中に避難して自分の命を守らなければ、明日は殺されます』。ミカルはダビデを窓からつり降ろし、彼は逃げて難を免れた」。
・ダビデに対する嫉妬が憎悪となり、憎悪は殺意となる。イエスが言われたように、嫉妬や憎悪の念を抱く者は殺人を犯したのと同じだ。主は人の心を裁かれる。その意味で、正しい者は一人もいない(ローマ3:9-18)。
―マタイ5:21-22「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。しかし、私は言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる」。


2.主は守られる


・ダビデを救ったのは、王の息子ヨナタンと娘ミカルであった。その背後には主がおられた。ダビデは「主こそわが砦、私は主の守りの中にある」と歌った。詩篇59編はその時の歌と伝えられている。
―詩篇59:1-18「『ダビデの詩。サウルがダビデを殺そうと、人を遣わして家を見張らせた時』。私の神よ、私を敵から助け出し、立ち向かう者からはるかに高く置いてください。悪を行う者から助け出し、流血の罪を犯す者から救ってください。・・・彼らは餌食を求めてさまよい、食べ飽きるまでは眠ろうとしません。私は御力をたたえて歌をささげ、朝には、あなたの慈しみを喜び歌います。あなたは私の砦の塔、苦難の日の逃れ場。私の力と頼む神よ、あなたにほめ歌をうたいます。神は私の砦の塔。慈しみ深い私の神よ」。
・全ては主の御手の中にある。ダビデを襲ったサウルを支配していたのも、「主からの悪霊」だった。それはサウルに王の職位からの退位を迫り、ダビデに試練の中の忍耐を教えた。主の守りは「苦難や試練が来ない守りではなく、苦難や試練において平安である守りである」。パウロの信仰告白の通りだ。私たちもこれを経験する。
―競灰螢鵐1:10「神は、これほど大きな死の危険から私たちを救ってくださったし、また救ってくださることでしょう。これからも救ってくださるにちがいないと、私たちは神に希望をかけています」。
・サウルの下を逃れたダビデはサムエルの庇護を求め、サムエルはナヨト(修道院)にダビデをかくまった。
―汽汽爛┘19:18「逃げて難を避けたダビデは、ラマのサムエルのもとに行って、サウルの仕打ちをすべて報告した。サムエルとダビデはナヨトに行き、そこにとどまった」。
・そのナヨトにサウルは追っ手を遣わすが、主の霊が彼らも捕え、ダビデに手出しが出来なかった。
―汽汽爛┘19:19-21「サウルはダビデを捕らえようと使者を遣わした。・・・神の霊はサウルの使者の上にも降り、彼らも預言する状態になった。サウルはこの報告を受けて、他の使者を遣わしたが、彼らもまた預言する状態になった。三度、サウルは追っ手を送ったが、彼らもまた預言する状態になった」。
・終にはサウル自身がナヨトに赴くが、彼もまた主の霊に囚われ、ダビデに手出しが出来なくなった。
―汽汽爛┘19:22-24「サウル・・・の上にも神の霊が降り、彼は預言する状態になったまま、ラマのナヨトまで歩き続けた。彼は着物を脱ぎ捨て預言する状態になったまま、その日は一昼夜、サムエルの前に裸のままで倒れていた」。
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