すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.ナオミとルツ


・士師の時代、飢饉がベツレヘムを襲い、エリメレクは妻と二人の息子を連れて、ベツレヘムからモアブに移り住んだ。
―ルツ記1:1-2「士師が世を治めていたころ、飢饉が国を襲ったので、ある人が妻と二人の息子を連れて、ユダのベツレヘムからモアブの野に移り住んだ。その人は名をエリメレク、妻はナオミ、二人の息子はマフロンとキルヨンといい、ユダのベツレヘム出身のエフラタ族の者であった。彼らはモアブの野に着き、そこに住んだ」。
・エリメレクはやがて死んだ。妻のナオミは息子たち二人にモアブの女を嫁に迎えさせたが、子が生まれないうちに二人の息子も死んだ。ナオミは先に夫を亡くし、今は二人の息子も失い、異郷の地で一人になった。
―ルツ記1:3-5「夫エリメレクは、ナオミと二人の息子を残して死んだ。息子たちはその後、モアブの女を妻とした。一人はオルパ、もう一人はルツといった。十年ほどそこに暮らしたが、マフロンとキルヨンの二人も死に、ナオミは夫と二人の息子に先立たれ、一人残された」。
・ナオミは孤独の中で、かすかな希望を聞く。イスラエルから飢饉が去り、再び豊かにされたとの知らせであった。ナオミは故郷で死ぬことを願い、ベツレヘムに戻ることを決心した。
―ルツ記1:6-7「ナオミは、モアブの野を去って国に帰ることにし、嫁たちも従った。主がその民を顧み、食べ物をお与えになったということを彼女はモアブの野で聞いたのである」。
・ナオミは二人の嫁に、故郷に帰り、再婚するように言った。女の幸せは夫を持ち、子を持つことにあると信じていた。
―ルツ記1:8-9「ナオミは二人の嫁に言った『自分の里に帰りなさい。あなたたちは死んだ息子にも私にもよく尽くしてくれた。どうか主がそれに報い、あなたたちに慈しみを垂れてくださいますように。どうか主がそれぞれに新しい嫁ぎ先を与え、あなたたちが安らぎを得られますように』」。


2.ナオミに同行するルツ


・嫁のオルパはナオミの言葉に従い去っていったが、ルツは離れようとしなかった。当時の女性は結婚して子を持つことこそ幸いとされた。子は女性に幸福と扶養を約束する。しかし、ルツは姑のためにこの可能性を捨てた。
―ルツ記1:16-17「ルツは言った『あなたを見捨て、あなたに背を向けて帰れなどと、そんなひどいことを強いないでください。私は、あなたの行かれる所に行き、お泊まりになる所に泊まります。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神。あなたの亡くなる所で私も死に、そこに葬られたいのです。死んでお別れするのならともかく、そのほかのことであなたを離れるようなことをしたなら、主よ、どうか私を幾重にも罰してください』」。
・ルツは幸せになる可能性を捨て、明日の見えないナオミとの生活を選んだ。そこにあるのは主の憐れみ=ヘセドに対する信仰だった。「あなたの民は私の民、あなたの神は私の神」、それはルツの信仰告白である。
―ルツ記1:18-19「同行の決意が固いのを見て、ナオミはルツを説き伏せることをやめた。二人は旅を続け、ついにベツレヘムに着いた」。
・ベツレヘムに戻った二人はこれからどのように生活を立てていけばよいのかわからない。ナオミは同郷の女たちに言う「私の名前はナオミ=快いではなく、マラ=苦いです。主が私を打たれたからです」と。
―ルツ記1:19-21「ベツレヘムに着いてみると、町中が二人のことでどよめき、女たちが、ナオミさんではありませんかと声をかけてくると、ナオミは言った『どうか、ナオミ(快い)などと呼ばないで、マラ(苦い)と呼んでください。全能者が私をひどい目に遭わせたのです』」。
・ナオミは異郷の地で夫と息子を亡くした。ナオミはこの現実を主の御手による裁きと受け止めた。しかし、裁きを通して、主の憐れみは開かれる。ルツはやがてエリメレクの親族ボアズの妻となり、オベドを生む。このオベドからエッサイが、エッサイからダビデが生まれる。主は再びナオミを喜ばせてくださる。
―ルツ記4:18-22「ペレツの系図は次のとおりである。・・・サルマにはボアズが生まれ、ボアズにはオベドが生まれた。オベドにはエッサイが生まれ、エッサイにはダビデが生まれた」。
・このダビデから主キリストが出られた。ナオミの嫁ルツは神の子の系図を構成していく。
―マタイ1:5-6「サルモンはラハブによってボアズを、ボアズはルツによってオベドを、オベドはエッサイを、エッサイはダビデ王をもうけた。・・・ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった」。
・人は人生の途上において「わが名をマラ=苦しみと呼べ」と言う時がある。しかし、主の憐れみは尽きないことを信じて待つことにより、喜びが生まれる。
―競灰螢鵐1:19-20「神の子イエス・キリストは、『然り』と同時に『否』となったような方ではありません。この方においては『然り』だけが実現したのです。神の約束は、ことごとくこの方において『然り』となったからです。それで、私たちは神をたたえるため、この方を通して『アーメン』と唱えます」。
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