すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  士師記(完)  >  2006年8月30日祈祷会(士師記17―18章、自分の目に正しいことを行う結末)

1.ミカの罪

・士師記は17章から結論部分に入る。結論部分の基本となる言葉は17:6,18:1,19:1,21:25の言葉である。神を見失って、自分の目に正しいことをする時、民はどのように行為するのかがその主題になる。
―士師記17:6「そのころイスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に正しいとすることを行っていた」。
・エフライムのミカは母の金を盗んだが呪いが怖くなり、自分の罪を母に告白した。母はその罪を咎めようともせず、そのお金で偶像を作り、拝む。罪を罪としない時、悔い改めが無い時、新しい罪がまた生まれていく。
―士師記17:1-4「エフライムの山地に名をミカという男がいて、母に言った『銀千百シェケルを実は私が奪ったのです』。母は言った『私の息子に主の祝福がありますように』。・・・彼が銀を母に返すと、母は銀二百シェケルを取って銀細工師に渡し、彫像と鋳像を造らせた」。
・ベツレヘムの寄留レビ人は職を求めてエフライムに来た。ミカは彼を雇って祭司にした。そこには神の召命も祭司の任命もない。あるのは人が自分の判断で祭司を雇い、好きな形で礼拝を行う信仰の乱れである。
―士師記17:9-13「彼は『私はレビ人で、ユダのベツレヘムから来ました。適当な寄留地を求めて歩いているのです』と答えた。ミカが『私の家に住んで、父となり、祭司となってください。あなたには年に銀十シェケル、衣服一そろい、および食糧を差し上げます』と言った。・・・ミカは『レビ人が私の祭司になったのだから、今や主が私を幸せにしてくださることが分かった』と言った」。


2.ダン族の罪とその報い



・ダン族はエルサレム南西を嗣業の地として与えられたが、カナン人とペリシテ人に追われ、新しい地を求めて、5人の斥候を出して、各地を探った。斥候たちはエフライムのミカの家で一夜を過ごす。
―士師記18:1-2「ダンの人々は土地を探り、調べるために、自分たちの氏族の者でツォルアとエシュタオル出身の勇士五人を自分のところから遣わして言った『行って、土地を調べよ』。彼らはエフライムの山地のミカの家まで来た」
・彼らはさらに進み、ライシュの町が豊かで無防備であることを知り、そこを攻めることを進言する。
―士師記18:9-12「五人は答えた『彼らに向かって攻め上ろう。我々はその土地を見たが、それは非常に優れていた。・・・そこは、この地上のものが何一つ欠けることのない所だ』。ダンの氏族六百人は武器を身に帯び、ツォルアとエシュタオルから出発し、上って行って、ユダのキルヤト・エアリムに陣を敷いた」。
・途中で彼らはミカの家に立ち寄り、神々の像と祭司を盗み出す。戦いの時に加護してくれる神を欲したからだ。
―士師記18:18-20「五人がミカの家に入り、彫像、エフォド、テラフィム、鋳像を奪った時、祭司は彼らに『何をするのです』と言ったが、彼らは『口に手を当てて、一緒に来てください。私たちの父となり、祭司となってください。一個人の家の祭司であるより、イスラエルの一部族、氏族の祭司である方がよいのではありませんか』と言った。祭司はこれを快く受け入れ、エフォド、テラフィム、彫像を取って、この民に加わった」。
・この祭司は雇われ祭司の典型だ。彼は利益を求めて仕える場所を変える。牧師がより良い任地を求めて異動する時、同じような問題が生じる。羊飼いは羊のために死ねと言うのがイエスの教えである。
―ヨハネ10:11-13「良い羊飼いは羊のために命を捨てる。羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。・・・彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである」。
・ミカは神々の像と祭司を奪われたのでダン族を追うが脅されて引き下がる。ダン族の行為には信仰のかけらもなく、あるのは力の誇示だけだ。
―士師記18:24-26「ダンの人々は言った『そんなたわごとを我々に聞かせるな。さもないと、苦々しく思った連中があなたたちを打ちつけ、あなただけでなくあなたの家族も命を失うことになろう』。ダンの人々は旅を続け、ミカは彼らの方が強いと見て引き返し、家に帰った」。
・ダン族はライシュに向かい、無抵抗の民を襲い、町を焼いてそれを自分のものとした。
―士師記18:27-29「彼らはミカが造った物と彼のものであった祭司を奪って、ライシュに向かい、その静かで穏やかな民を襲い、剣にかけて殺し、町に火を放って焼いた。・・・彼らはその町を再建して住み着き、その町を、イスラエルに生まれた子、彼らの先祖ダンの名にちなんで、ダンと名付けた」。
・しかし、神は見ておられる。彼らはこの罪のために滅ぼされる。やがてこの民が捕囚されて滅びることを士師記の著者は明記する。「自分の目に正しいことをする」事がどのような結果を生むかを著者は隠さない。
―士師記18:30-31「ダンの人々は、自分たちが拝むために例の彫像を立てることにした。またモーセの孫でゲルショムの子であるヨナタンとその子孫が、その地の民が捕囚とされる日までダンの部族の祭司を勤めた。こうして、神殿がシロにあった間、ずっと彼らはミカの造った彫像を保っていた」。
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