すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  ヨシュア記(完)  >  2006年5月17日祈祷会(ヨシュア記22章、異教の地に住む)

1.ヨルダン川東岸への帰還と祭壇設立


・約束の地は征服され、民はそれぞれ嗣業の地を得た。ヨルダン川東岸に領地を与えられていた三部族も、モーセに約束した責務が終わり、自分たちの土地に帰ることとなった。
―ヨシュア記22:1-4「ヨシュアは、ルベン人、ガド人、マナセの半部族を呼び寄せて、言った『あなたたちは、主の僕モーセが命じたことをことごとく守っただけではなく、私が命じたすべてのことにも聞き従った。あなたたちは、今日に至るまで長い間、同胞を見捨てず、あなたたちの神、主の命じられた言いつけを守ってきた。しかし今や、あなたたちの神、主は約束されたとおり、同胞に安住の地をお与えになったのだから、あなたたちは主の僕モーセから受けたヨルダン川の東側にある自分の所有地の天幕に帰るが良い』」。
*主が与えられた約束の地は、ヨルダン川西岸であったが、三部族は約束の地への侵攻を前に、ヨルダン川東岸に土地を求めた。モーセは怒ったが、最後に、他の部族の土地占領のために協力するならばそれを認めると妥協した。
・ヨシュアは彼らを送り出すが、彼らが異教の地に行き信仰をなくすのではないかと懸念して、彼らに確認する。
―ヨシュア記22:5「主の僕モーセが命じた戒めと教えを忠実に守り、あなたたちの神、主を愛し、その道に歩み、その戒めを守って主を固く信頼し、心を尽くし、魂を尽くして、主に仕えなさい」。
・三部族は領地に戻ったが、懸念した出来事が起こった。ヨルダン川を渡るや、彼らはそこに祭壇を築く。祭壇を築く、自分たちの礼拝の場所を民族の共通祭壇であるシロ以外の地に持つことは主に対する反逆であった。
―ヨシュア記22:10-12「ルベンとガドの人々、およびマナセの半部族は、カナンの土地にあるヨルダン川のゲリロトに着いたとき、そこに一つの祭壇を築いた。それは目立って大きい祭壇であった。イスラエルの人々は、ルベンとガドの人々、およびマナセの半部族が・・・祭壇を築いたとの知らせを聞いた。これを聞いたイスラエルの人々は、シロで、イスラエルの人々の共同体全体の集まりを開き、彼らに対して軍を差し向けることにした」。


2.個人の救いと共同体の救い

・イスラエルの人々が主張したことは、個人が罪を犯せば、共同体が責任を問われるという一体の信仰である。
―ヨシュア記22:16-18「主の共同体全体はこう言う。お前たちが今日、イスラエルの神、主に背いたこの背信の行為は何事か。お前たちは、今日、自分たちのために祭壇を築いて、主に逆らっている。・・・今日、主に逆らうなら、明日、イスラエルの共同体全体に御怒りが下るであろう」。
・三部族は弁明する「私たちは地理的分離が宗教的分離を招くかもしれないので、子供たちに信仰は一つであることを教えるために祭壇を築いたので、他意はない」と。
―ヨシュア記22:24-26「後日、あなたたちの子供が私たちの子供に向かい、『あなたたちはイスラエルの神、主と何の関係もない。ルベンとガドの人々よ。主はヨルダン川を私たちとあなたたちとの境とされた。あなたたちには、主の割り当てはない』と言って、あなたたちの子供が私たちの子供に主を畏れることをやめさせるかもしれません。それで、自分たちの手で祭壇を築こうと申し合わせたのです」。
・ヨルダン川東岸は約束の地の外、異教の地である。異教の地で、信仰の純粋性は保てるのか。ほとんどの人がキリストを信じない地に住む私たちの問題でもある。
―汽撻謄2:11-12「愛する人たち、あなたがたに勧めます。いわば旅人であり、仮住まいの身なのですから、魂に戦いを挑む肉の欲を避けなさい。また、異教徒の間で立派に生活しなさい。そうすれば、彼らはあなたがたを悪人呼ばわりしてはいても、あなたがたの立派な行いをよく見て、訪れの日に神をあがめるようになります」。
・同時に、個人の罪は共同体にも及ぶのか。救いは個人の出来事であるのか、共同体の出来事であるのか。主は「私たちにあなたがた」と呼びかけられる。誰かが救いから離れることは、私の問題になりうるのか。
―ヨハネ15:5「私はぶどうの木、あなたがたはその枝である。人が私につながっており、私もその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。私を離れては、あなたがたは何もできないからである」。
・「私の救い」が「私たちの救い」にならなければいけない。他者の救いがもっと考えられるべきではないか。同胞のためならば自分が救いから落ちても良いと言ったパウロやモーセの祈りを私たちはどのように聞くのか。
―ローマ9:2-3「私には深い悲しみがあり、私の心には絶え間ない痛みがあります。私自身、兄弟たち、つまり肉による同胞のためならば、キリストから離され、神から見捨てられた者となってもよいとさえ思っています」。
―出エジプト記32:31-32「モーセは主のもとに戻って言った『ああ、この民は大きな罪を犯し、金の神を造りました。今、もしもあなたが彼らの罪をお赦しくださるのであれば……。もし、それがかなわなければ、堂かこの私をあなたが書き記された書の中から消し去ってください』」。


プリンタ用画面
友達に伝える
前
2006年5月10日祈祷会(ヨシュア記21章、約束は全て実現した)
カテゴリートップ
ヨシュア記(完)
次
2006年5月24日祈祷会(ヨシュア記23章、ヨシュアの告別説教)