すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.ユダ族への領土の分配

・ユダ族にはパレスチナ南部が与えられる(15:1-12)。しかし、割り当てられた土地はまだ占領されておらず、これから武力による土地の切り取りが行われる。
−士師記1:1-4「ヨシュアの死後、イスラエルの人々は主に問うて言った『私たちのうち、誰が最初に上って行って、カナン人を攻撃すべきでしょうか』。主は『ユダが上れ。見よ、私はその地をユダの手に渡す』と言われた。・・・ユダが上って行くと、主はカナン人、ペリジ人を彼らの手に渡された。彼らはベゼクで一万の敵を撃ち破った」。
・ヨシュア記11章は、ヨシュアの時代に全ての土地の占領は終わったと記述するが、これは信仰的表現であり、実際は長い時間をかけてイスラエルのカナンの地への定住・地の占領が続いていった。
−ヨシュア記11:21-23「ヨシュアは攻め込んでアナク人を山地、ヘブロン、デビル、アナブから、ユダの山地およびイスラエルの山地から一掃した。ヨシュアは彼らをその町もろとも滅ぼし尽くしたのである。・・・ヨシュアはこうして、この地方全域を獲得し・・・それをイスラエルに各部族の配分に従って嗣業の土地として与えた」。
−ヨシュア記15:13-15「主の命令に従い、ヨシュアはエフネの子カレブに、ユダの人々の領内のキルヤト・アルバすなわちヘブロンを割り当て地として与えた。アルバはアナク人の先祖である。カレブは、アナク人の子孫シェシャイ、アヒマン、タルマイの三氏族をそこから追い出し、更にデビルに上り、住民を攻めた」。
・15:63にはエルサレムも領土に編入されたと記述するが、実際にエルサレムがイスラエルのものになったのは300年後のダビデの時代であった。
−競汽爛┘5:6-7「王とその兵はエルサレムに向かい、その地の住民のエブス人を攻めようとした。・・・ダビデはシオンの要害を陥れた。これがダビデの町である」。
・私たちは聖書を自己の良心において冷静に読み、そこから与えられた御言葉を熱く受取る必要がある。聖書を一言一句神の言葉として読み、記述の矛盾に目をつぶることは、誤った使信を受取る危険性がある。
−汽謄皀1:18-19「私の子テモテ、あなたに・・・この命令を与えます。その預言に力づけられ、雄々しく戦いなさい、信仰と正しい良心とを持って。ある人々は正しい良心を捨て、その信仰は挫折してしまいました」。


2.土地取得の物語が私たちに教えること

・ヨシュア記はその最後で、全ての土地はイスラエルに与えられたと記述する。しかし、それが終わりではなく、歴史はそこから始まる。ヨシュア記はイスラエルの民が背けば、土地は取り上げられると預言する。
−ヨシュア記23:9-13「主が強大な国々をあなたたちのために追い払ってくださったから、あなたたちの行く手に立ちはだかる者は、今日まで一人もなかった。・・・だから、あなたたちも心を込めて、あなたたちの神、主を愛しなさい。しかし、もしあなたたちが背いて離れ去り、あなたたちのうちに残っているこれらの国民となれ親しんで、婚姻関係を結び、向こうに行ったり、こちらに迎えたりするなら、あなたたちの神、主がもはや、これらの国民を追い払われないことを覚悟しなさい。彼らはあなたたちの罠となり、落とし穴となり、脇腹を打つ鞭、目に突き刺さるとげとなり、あなたたちは、あなたたちの神、主が与えられたこの良い土地から滅びうせる」。
・歴史はこの預言の通りとなり、イスラエルは罪を犯して、国を滅ぼされ、人々は異国の地に捕囚として取り去られる。その時、イスラエルの人々は再び主の言葉を聞く。
−エレミヤ29:10-14「バビロンに七十年の時が満ちたなら、私はあなたたちを顧みる。私は恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す。私は、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。そのとき、あなたたちが私を呼び、来て私に祈り求めるなら、私は聞く。私を尋ね求めるならば見いだし、心を尽くして私を求めるなら、私に出会うであろう、と主は言われる。私は捕囚の民を帰らせる。私はあなたたちをあらゆる国々の間に、またあらゆる地域に追いやったが、そこから呼び集め、かつてそこから捕囚として追い出した元の場所へ連れ戻す、と主は言われる」。
・人は十字架を自分で担がないと真理が見えない。主が共におられればそこが約束の地であり、共におられなければ、豊かな地もまた地獄になる。人は砕きを通して、救いを見る。
−哀歌3:28-33「軛を負わされたなら、黙して、独り座っているがよい。塵に口をつけよ、望みが見いだせるかもしれない。打つ者に頬を向けよ、十分に懲らしめを味わえ。主は、決してあなたをいつまでも捨て置かれはしない。主の慈しみは深く、懲らしめても、また憐れんでくださる。人の子らを苦しめ悩ますことがあっても、それが御心なのではない」。
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