すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.土地の占領

・ヨシュアの占領した土地のリストが、11章後半から12章にかけて列記される。まず11章後半に占領地の概要が示される。山地・ネゲブ・ゴシェンは南部、アラバ以下はヨルダン川流域、北はガリラヤ・サマリヤ地方である。
−ヨシュア記11:16-17「ヨシュアの占領地は、この地方全域である。すなわち、山地、ネゲブ全域、ゴシェンの全地域、低地、アラバ、イスラエルの山地とそれに続く低地、すなわちセイル途上にあるハラク山から北はヘルモン山のふもとにあるレバノンの谷にあるバアル・ガドまでである」。
・記者は、戦いは土地住民の抵抗によって生じたものであり、その抵抗は主が彼らを頑なにされた故と論じる。
−ヨシュア記11:18-20「ヨシュアとこれらすべての王たちとの戦いは長い年月にわたり、ギブオンに住むヒビ人以外にイスラエルの人々と和を結んだ町は一つもなかった。その他はすべて戦って獲得したのである。彼らの心を頑なにしてイスラエルと戦わせたのは主であるから、彼らは一片の憐れみを得ることもなく滅ぼし尽くされた」。
・この記述は史実ではなく、神学的表現である。歴史はイスラエルの入植・カナン人との結合・イスラエルの堕落を示し、堕落の結果、国の滅亡=バビロン捕囚があった。彼らを滅ぼし尽くさなかった故に堕落が生じたと記者は見ている。「滅ぼし尽くせ」とは神学的表現であり、主の命令ではない。聖戦などはないのだ
−ヨシュア記23:12-13「もしあなたたちが背いて離れ去り、あなたたちのうちに残っているこれらの国民となれ親しんで、婚姻関係を結び、向こうに行ったり、こちらに迎えたりするなら、あなたたちの神、主がもはや、これらの国民を追い払われないことを覚悟しなさい。彼らはあなたたちの罠となり、落とし穴となり、脇腹を打つ鞭、目に突き刺さるとげとなり、あなたたちは、あなたたちの神、主が与えられたこの良い土地から滅びうせる」。
−エレミヤ11:13-17「ユダよ、お前の町の数ほど神々があり、お前たちはエルサレムの通りの数ほど、恥ずべきものへの祭壇とバアルに香をたくための祭壇を設けた。・・・あなたを植えられた万軍の主は、あなたについて災いを宣言される。それは、イスラエルの家とユダの家が悪を行い、バアルに香をたいて私を怒らせたからだ」。


2.征服された王のリスト

・占領された土地は各部族に嗣業の地として配分された。
−ヨシュア記11:23「ヨシュアはこの地方全域を獲得し、全て主がモーセに仰せになった通りになった。ヨシュアは、それをイスラエルに各部族の配分に従って嗣業の土地として与えた。この地方の戦いは、こうして終わった」。
・ヨシュア記の前半は12章で終わる。12章では征服された王たちが一覧表示される。最初に記述されるのは、モーセの時代のヨルダン川東岸、アモリ王シホンの征服記事である。次がバシャンの王オグに記事である。東岸の地域はモーセの時代にルベン・ガド・マナセ族に分配されている。
−ヨシュア記12:1-3「イスラエルの人々がヨルダン川の向こう側、すなわち東側で征服し、占領した国々とその王は次のとおりである。・・・主の僕モーセの率いるイスラエルの人々が二人の王を打ち殺した後、これらの地域は主の僕モーセによってルベン人、ガド人、マナセの半部族に領地として与えられた」。
・ヨルダン川西岸はヨシュアによって征服された。
−ヨシュア記12:7-8「ヨシュアの率いるイスラエルの人々がヨルダン川のこちら側、すなわち西側で征服した国の王は次のとおりである。ヨシュアは、レバノンの谷にあるバアル・ガドからセイル途上にあるハラク山に至る地域をイスラエル各部族にその配分に従って領地として与えた。それは山地、低地、アラバ、傾斜地、荒れ野、ネゲブであって、そこにはヘト人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人が住んでいた」。
*土地取得とカナン定住の歴史(聖書大辞典、教文館、827頁)
イスラエルの占領、土地取得と呼ばれる事態が、イスラエルの侵入、軍事的征服という出来事であった(ヨシュア記)のか、それとも牧草地交代を利用したいわば未開地への浸透ともいうべき長期間にわたる緩慢な出来事であったのか。これが長い間学会を二分する基本的な二つの立場であった。これに対しMendenhallおよびGottwaldは、カナン諸都市の重圧下から「引き上げられ」た小農民層を主体にした反都市同盟がイスラエルの成立へと寄与したという仮説を提出した。(この説が大体認められ考古学的にも実証されつつあるようだ。)
*聖絶について(聖書大事典、教文館、672頁)
戦争における聖絶に類する慣習は、イスラエルの周辺世界、とりわけアッシリアやモアブから知られており、古代オリエントでかなり一般的であった。しかし旧約において、聖絶についての叙述は、聖戦の観念ともども、申命記、および申命記史家書に集中しており、ある程度思想化された文学上の理念という性格が強い。従って上述のような聖絶の習慣が、どの程度実際に行われていたかは問題が残る。いずれにせよ、ヨシュア記が書くようなカナン征服時における聖絶は史実としては疑問視さるべきである。
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