すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.モーセは約束の地を前にして、死んだ。

・モーセは、40年間の荒野の旅を経て、モアブの地まで民を率いてきた。約束された地はヨルダン川を挟んで目の前にある。モーセは死を前に、山に登れと命じられる。
−申命記34:1-3「モーセはモアブの平野からネボ山、すなわちエリコの向かいにあるピスガの山頂に登った。主はモーセに、すべての土地が見渡せるようにされた。ギレアドからダンまで、ナフタリの全土、エフライムとマナセの領土、西の海に至るユダの全土、ネゲブおよびなつめやしの茂る町エリコの谷からツォアルまでである。
・しかし、モーセは約束の地に入ることは許されず、主の命令によってモアブの地で死に、谷に葬られた。誰もその墓の場所を知らないと申命記は記す。
−申命記34:4-6「これがあなたの子孫に与えると私がアブラハム、イサク、ヤコブに誓った土地である。私はあなたがそれを自分の目で見るようにした。あなたはしかし、そこに渡って行くことはできない。主の僕モーセは、主の命令によってモアブの地で死んだ。主は、モーセをベト・ペオルの近くのモアブの地にある谷に葬られたが、今日に至るまで、だれも彼が葬られた場所を知らない」。
・モーセは苦労を重ねて、民をここまで導いてきた。そのモーセが約束の地を前に、無念の中に死ぬ。何故なのだろう。申命記史家はモーセが神に対して罪を犯したから、約束の地に入れないのだと理解した。
−申命記32:51-52「あなたたちは、ツィンの荒れ野にあるカデシュのメリバの泉で、イスラエルの人々の中で私に背き、イスラエルの人々の間で私の聖なることを示さなかったからである。あなたはそれゆえ、私がイスラエルの人々に与える土地をはるかに望み見るが、そこに入ることはできない。」
・私たちは納得できない。長い人生の中にあって、誰でも一度や二度は主に背き、罪を犯す。主はそれらの罪の一つ一つを赦されないかたなのか。モーセも納得していない。彼も主に抗議を申し立てている。
−申命記3:23-25「あなたは僕である私にあなたの大いなること、力強い働きを示し始められました。・・・どうか、私にも渡って行かせ、ヨルダン川の向こうの良い土地、美しい山、またレバノン山を見せて下さい」。
・しかし、主は拒否された。モーセは無念の内に死んでいった。
−申命記3:26「主は、あなたたちのゆえに私に向かって憤り、祈りを聞こうとされなかった。主は私に言われた。『もうよい。この事を二度と口にしてはならない』」。


2.神は何故、モーセを無念のままに死なせられたのか。


・主はモーセに荒野の40年を思い起こせと言われる。40年間罪を犯し続けた民が約束の地に入った瞬間に正しい民になると思うか。この先あなたを待っているのは新しい幻滅と苦難だ。先の苦労は若いヨシュアに任せよ。あなたは十分に働いた。もう休めと神は言われている。
‐申命記31:16−17「あなたは間もなく先祖と共に眠る。するとこの民は直ちに、入って行く土地で、その中の外国の神々を求めて姦淫を行い、私を捨てて、私が民と結んだ契約を破るであろう。その日、この民に対して私の怒りは燃え、私は彼らを捨て、私の顔を隠す。民は焼き尽くされることになり、多くの災いと苦難に襲われる。」。
・クラウス・ヴェスターマンと言う旧約学者は出エジプトの出来事を次にように要約した。
「人々は苦難の中から神に叫んだ。神はその声を聞き、助けてを送った。この仲保者を通して人々は解放された。人々は賛歌と従順をその応答とした。従順は永続しなかった。人々は神を忘れてしまった。神は審判者として歩み寄り、人々に新しい苦難を与えられる」
・人生は未完であって良いのではないか。申命記の記事はそう教える。私たちが死んでも、神の業は続いていくのだから。このモーセに自分を重ねたのが、1968年4月4日に暗殺され、39歳で死んだはキング牧師である。
−「一体これから何が起ころうとしているのか、私には分からない。ともかく、私たちの前途が多難であることは事実である。しかしそんなことは、今の私には問題ではない。なぜなら、私はすでに山の頂に登ってきたからである。従って、もう何も心配していない。私だって、ほかの人と同じように長生きしたいと思う。長寿にはそれなりの意味があるから。だが、もうそういうことも気にしていない。神の御心を全うしたいだけである。神は私に山に登ることをお許しになった。そこからは四方が見渡せた。私は約束の地も見た。私は皆さんと一緒にその地に到達することは出来ないかもしれない。しかし今夜、これだけは知っていただきたい。すなわち、私たちは一つの民として、その約束の地に至ることが出来る、ということである。だから、私は今夜、幸せである。もう何も不安なことはない。私はだれも恐れてはいない。この目で、主の再臨の栄光をみたのだから。」
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